鳥になった子供
子供が、おっかさまに、まんこして山の畑へ豆まきにいったってせ。おっかさまが豆
まいてるで、子供は畑のあぜで花とったり、木の枝折ったりしてたが、知らねまに、
めった山ん中いへえっちまった。
やとこさ気がついて、もと来たほうえ、けえらっとっとするが、よけえに迷よっちまった。
せつなくなって子供は「かっか−、かっか−」って泣きめっこかいた。むげえことに子
供はけえれなくなって「かっか−、かっか−」泣きながら鳥になっちまった。今も山奥
で「かっこう、かっこう」ってないてるじ。 |
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見こし入道
見こし入道ってやつがいたってせ。そいつ見てると、そいつの背いがどんどん、でか
くなってった。もっと見てりゃ天にとどくくれぇになった。「えれぇ高いなぁ」って、のけ
ぞってってると見てるやつの、のどぼとけに食らいつくだってせ。そんだで、見こし入
道ってわかったら、のけぞっちゃいけね。はんたいに下見にゃならね。そうしらゃ、見
こし入道の野郎、じょんに、じょんに小さくなって、豆つぶくれぇになって、どっかえ逃
げてっちまうだ。 |
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むじなのいたずら
太郎さんとこは、むらはずれで、うちの裏にゃでけえ小柿の木があって、小柿がどさ
まくなった。
ある晩、太郎さが寝床にへって、うとうとしてたら、裏の板戸をどんどん叩いて「太郎
さ、太郎さ」って呼ぶやつぁいた。太郎さは目えさまして、眠い目えこすりながら、戸
あけて見たが誰もいねぇ。
「なんだ、夢か」って一人ごと言って、また布団にもぐりこんで、うとうとしたら、板戸
がどんどん鳴って「太郎さ、太郎さ」って呼んでる。こんだ布団に座って、じっと聞き
耳たってみりゃ、たしか「太郎さ」って呼んでる。しょうがねえ、起きてって、そとのけ
みやまで行ってみたが、やっばぁ誰もいねぇ。
やっとこさ「むじなのいたずら」って気がついて、太郎さはぶつぶつ言いながら寝ち
まった。
よく朝、裏い行ってみたら、小柿の木の下い、小柿がいっぺえおってた。やっぱあむ
じなのいたずらだったずらよ。
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ペ−ジ先頭 |
ゴトゴトのめくら蛇
あっこの谷のおくにゴトゴトってとこあってな。岩やら石やら、ごろごろ積み重なってる
ぞ。そん中通って村のしょうは草刈りや桑むぎに行ったもんだ。いっくら朝早く行ったっ
て、そこんとこは朝日があたってた。そして石の上で日なたぼっこしてるでっけえ蛇を
よく見たもんだ。
天びん棒より長くて、目が白いもんで、みんな「ゴトゴトのめくら蛇」って呼んでた。
あるとき、物好きなやつが、朝一番にゴトゴトい登ってったら、めくら蛇が日なたぼっこ
してた。「よし、つかめてやらず」って、せえたの縄もって寄ってったら、蛇は気ぃついて
ずるずる岩のええだに、へえりかけた。逃がさずかって尻尾もって、ありったけしっぱっ
たが蛇のほうは命がけだで岩のええだい、へっちまった。
それっきり蛇の姿みねえし、半年のいとに引っ張りっこしたやつと、かかさ死んじまった
目ぇ見えねえもんに、むげぇことしただで「蛇のたたりずら」って村のしょうは言ってた。 |
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延命地蔵
山辺に延命地蔵尊を祀ってる家がある。昔、この家ぃ高野山から三功行者山田瑞雲
ってえれぇ坊さまが、信濃行脚の途中に寄った。3月28日、みぞれが降る夕方で、ぐ
しょ濡れだった。
ここの家にゃ、ばばさと、かかさと、子どもばっかで住んでたが、坊さまの難儀みて、
一晩泊めてやった。
翌朝、坊さまぁ、礼いいながら、家のもんに石ぃ拾ってこいって云った。坊さまぁ拾って
きた石い魂入れして、「困ったことあったら、この石いお伺いたてろ」ってそいって立ち
去った。
それから、困ったときにゃお伺いたってたが、願いを聞いてもらえるときゃ、石が軽く持
ち上がった。無理なことお願いすりゃ、おもくて、てしこにいかなんだ。
この家じゃ今も延命地蔵尊って言って祀ってるじ。 |
ペ−ジ先頭 |
兎の吸い物
これは「新三河風土記」ちゅう本にある、ほんとの話ってこんだ。
徳川家康のご先祖さまに有親ちゅう武士がいた。
或とき信州を訪れた有親は、めえに足利持氏の側近として、一緒に仕えた林藤助光政ちゅう武士が持氏の勘にさわって、郷里の山辺に蟄居してるのを思い出した。
折から年の暮れ、大雪の中、有親はごんぞ履いた、てきねえ足をひきずりながらやっとこさ藤助の家いたどり着いた。
はあるかぶりに行き会ったもんだで、いい大人が、なきめっこで大喜びしたが、藤助んとこにゃ、せっかくの客をもてなすもんが何もねえ。
そんだもんだで、藤助は弓矢をもって外い出たが、こんな大雪だで小鳥一羽もいりゃしねえ。
しょうがねえ、しょげて、けえりかけると、兎が一羽、田の畔え飛び出してきたのを
藤助は弓の名人だで、あんべよく射とめた。
この日は陰暦の12月29日で、あくる日にゃ永享12年元旦だった。よっぴて話し込んだ上、正月の馳走に兎の吸い物つくって有親をもてなした。
こんとき、有親の子、親氏も一緒についてきてたが、のちに親氏は松平家の祖となって藤助は、これに仕えた。
松平家が徳川家になっても藤助の子孫は仕えて、戦じゃえれえ働きしたってこんだ。
徳川家じゃ、雪ん中で出してもらった「兎の吸物」の暖ったけえ心を忘れねように、毎年元旦は兎の吸物を例とするし、藤助の林家じゃ12月29日までにゃ兎を献上したってこんだ。
藤助の子孫は大名にとり立てられ、その子孫は今も東京にいるってこんだ。
「をりにあへば千代の例になりにけり雪の林に得たる兎も」って徳川家の年中行事の歌合せに詠まれてるってじ。
そんで、藤助が兎を射止めたとこにゃ「兎田」って名がついて免租になってて、いつからか知らねが「兎田旧跡」って碑が建ってるじ。
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木食山居上人
「懺悔せば心の罪は消えうせて菩薩も同じ心なりけり」 山居
木食山居は、明暦元年に山辺の新井ってとこで生まれた。
木食ってのは、坊さまが草や木の実だけ食べて修行するこった。
山居は13歳んとき、子守りしてた3歳の女ん子を、あやまって井戸に落として死なせちまった。
申し訳ねえって、てめえも死なっとしたとこ、清水の念来寺の明阿空幻上人に救われて、弟子んなって仏門にへった。
木食僧んなって、山ん中の谷や洞窟なんかでいっしょ懸命念仏唱えて修行しながら、死なせちゃった子の供養と、助けてくれた明阿上人のため、たあんと一刀彫りの仏像を刻んだ。
仏像い魂入れして、布教や托鉢んとき、信者に呉れたで、調べて見たら山辺にゃ15体あるじ。裏に「千之内空幻和尚之為也」って刻んである。
遊行僧んなって、あっちこっち巡って、北信濃で三重の塔や観音堂を建った。
大町にも三重の塔、経蔵を建ったじ。
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ペ−ジ先頭 |
海岸寺の埋蔵金
桐原の海岸寺は真言宗の古くて、でっけえ寺だったが、今じゃお堂がひとつ残ってるだけだ。そんでも県宝の「千手観音」が祀られてるし、近所から鎌倉時代の経筒や刀子が出てるだで、てえしたもんだ。
この寺の中堂(里寺)を取り壊わすとき古い書きもんが出たってこんだ。
「朝日さす、夕日輝く物の成る木、大判小判三千両」ってあったってが、役人しょうは、みんなに内緒にした。
だが、だんだん知れて一攫千金の山師が宝探しを、おっぱじめたもんで、あたりゃ穴だらけ、えれえこんせ。
或るときゃ、中堂の庭のイチョウの根っこにある、でっけえ百万遍供養塔まで、ひっ倒され、台石の下ぁほじくりけえされたこたぁあるじ。
だが宝もん見つけたって話しぁ聞かねえ。
もっとも見つけりゃ、黙ってるってもんずらがね。百万遍供養塔の下ほじっくりかえされたときにゃ、そっこに直径25センチ深さ30センチくれえの穴あったってで、そんとき持ってかれちまったかね。
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ペ−ジ先頭 |
扉石
松本から小県郡和田村にぬける石器時代からの道がある。
車のねえじぶんにゃ、すすき川のふちを、どんどん登ってって、三次郎(三城)原に出た。そっからジイガ(陣ケ)坂を登ってって、茶臼山の横っちょ越えて和田へ下ったもんだ。
石器時代からの道だっちゅうのは、この道通って黒曜石運ばれたなぁ確かなこんだでな。
その茶臼山から、ちょっとばか和田へ下ったとこに、戸を2枚合わせたような、でっけえ岩が立ってて、昔っから扉石って呼んでる。
この岩は大昔、高天原ってとこで世の中照らしてた天照大神が、意地まげて天岩戸んなかい隠れちまった。そんであたりは真っ暗。困りきってみんなが天岩戸を押したり引いたりするが、びくともしねえ。
そこで、みんなは、うめえこと考げえた。
天岩戸のめえでで、酒盛りおっぱじめて、歌ったり、踊ったり面白おかしく騒ぎたった。
真っ暗やみで、みんな、しょげけえってるずらと思ってた天照大神は、不思議に思って岩戸をちょっとばか開けて、外を見らっとした。
そんとき、手力男命って力自慢の神さまが、隙間に手つっこんで力いっぱい開けた。
その勢いで岩戸は空を飛んだ。ふんとは、二度と世の中暗くならねえように、信濃の戸隠まで飛ばして隠すつもりだった。
ちょっとばか、加減しちまったもんだで、途中で落っちまっただね。
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ペ−ジ先頭 |
河童のお礼
昔ぁすすき川にも河童が住んでた。
あるとき大雨ですすき川が大荒れんなった。橋は流れちゃうし、堤防はきっかくし、えれえ剣幕だ。
でけえ岩だって、雷みてえな地響きたって流れるだで、村んしょうはおっかなびっくり遠くから見てた。
そん時、上の方から誰か流されてくるじゃねえか。だが自分が流されりゃやあだで助けらっとするもんがいねぇ。
そしたら南方の人が、三尺ほどきながら、とんでって先っちょに石しばって、流れてくる人にパッと投げた。
助けて見りゃ、おどけるじゃねえか、そいつは河童だ。
河童は「面目ねえ、河童の川流れになっちまった。お礼におめえさまの家がずっと困らねえように、いいこと教えてやる」ってって目のゴミ出す秘法をおせた。
なんしろ、目んとこえ布っきれ当ててサッと何かしたともったら、どんなでっけえゴミ
だって取っちまった。或ときゃ目から芽の出た麦が出たって聞いたじ。
そこの家じゃ代々女しょの、秘伝になってて、えれえ繁盛してた。おらが知ってる
ばあさまは昭和20年ころまでやってたが、跡つぎがなくて、それっきりになっちまったな。
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