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山辺ぶどう

気候・風土・伝統の産物



山辺ぶどうは元禄時代から栽培された?
「推定百年の老木が大正7年に枯れた」とあるのが記録上で、最も古い。

そう云えば、明治20年生まれの祖母の話を思い出す。祖母はいとこ結婚で、小さいころ親の生家へよく遊びに来た。                                      その頃、庭に柿の大木があり、太いぶどうの木が絡み付いていた。 毎年、ぶどうを食べるのが楽しみであった。ある年の台風で柿の木が倒れ、ぶどうも枯れてしまった。       
江戸末期頃のぶどうと思うが、残念ながら品種はわからない。                 

ぶどうの品種

大正7年に枯れた老木は、甲州種であった。昭和に入っても「甲州ぶどう」「甲州三尺」が、あちこちに残っていて先進地は甲州であったことをうかがわせる。信州銘柄では「信濃」が古い品種として残っていた。                                     
明治時代も甲州ぶどうが主流で、30年頃から欧州・欧米・東洋種が導入された。      
ぶどうづくりの悩みの病虫害に強い「筑摩」、「コンコ−ド」もその頃から栽培され、現在もわずかに残っている。                                          
戦後の主要品種はデラウエアとナイヤガラであったが、50年頃から巨峰が主流になった。 

 
地直送のさきがけ
今、産地直送は珍しくない。鉄道輸送が中心であった昭和30年に「山辺ぶどう」は取引市場を開拓して産直のトラック輸送に取り組んだ。まだトラックの数が少ない時代に生産者組合百姓の快挙である。                                            
出荷トラックには役員が同行し、市場で仲買人、小売人の反応を直に見た。          
販売価格はただちに電話で組合へ連絡し、黒板に掲示して生産者に知らされた。規格、包装など購入者の求める情報は持ちかえって改善された。「山辺ぶどう」はたちまち知れわたることになった。                                             

当時の役員の先見性、熱意に敬服する。同時に永い歴史で築かれた栽培技術や、天候・病害虫に対する熱心な研究に支えられていることを思う。
                    

        

特産品 「デラウエア」 「ナイヤガラ」

沢山ある品種のなかで、山辺の特産品として揚げたいのは「デラウエア」と「ナイヤガラ」である。標高が高く、昼夜の温度差が大きいこと、土壌が扇状地の砂礫質であることによって糖度・着色がよい。                                          
巨峰が主流になった現在、デラウエアの生産地は他にない。(山梨産は別種のように色づきが違う)。                                               
ナイヤガラも松本平独特で、一度食べると忘れられない古里の味である。どちらも希少である。                                                    
デラウエア ナイヤガラ
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