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森の現況

     共存の道


 
         平成12年1月30日

         第15回松本市公民館研究集会「自然・環境分科会」 から

     自然・環境 〜森のはたらきと人とのかかわり〜
21世紀は「水」や「多様性」がキ−ワ−ドといわれる。
水を生み出しそのふところに貯め、少しづつ出してくれる森。
人々を身心共にリラックスさせ、地球温暖化を抑制し、沢山の動植
物を育む森。その恵みは尽きるところがない。
しかし森は今、荒廃している。どうしたら森を蘇らせ、その豊かな恵
みに浴することができるであろうか。

           この研究集会は「松本市公民館活動史発刊記念」を兼ねていた。
     活動史に時代背景として「森の経済性について」執筆したので同史の贈呈を受けた。


      分科会で「森の現況」について私がパネラ−として発表したものを掲載します。

             美ヶ原山麓 「やまべの森の現況」


       はじめに

      山辺の森とのかかわりは、愛着のある生地であり、昭和20年代の少年期から
      美ヶ原へ頻繁に登っている。
      昭和46年、三城牧場にアウトドアの拠点を確保して頻度が増した。
      平成元年、拠点にアウトドア施設を造り、冬季を除いてほとんど毎日薄川のほ
      とりを往復するようになった。そうした暮らしの中で森と川、それに降雪・風雨・
      病害虫による変化、因果関係に日ごろから関心を寄 せている。

       森の手入れ

      山辺谷は概略、山麓が私有林でその奥が財産区林(約3000町歩)があり、山
      頂部や渓谷の深いところに県有林や国有林がある。岩山、高冷地を除いてほ
      とんどが昭和30〜40年代に植林した人工林である。
    
      それまで戦後の復興で材木の高値が続いていた。建築、土木、坑木電柱に使
      用され、成長の早い唐松が一斉に植えられた。燃料の変化で薪や炭が使われ
      なくなったこと、刈敷が化学肥料になり牛馬が減少して採草地が不要になるな
      ど農業構造の変化も人工林への拍車をかけた。

      その結果、鉢伏山や三峰山に囲まれた扉渓谷の最奥まで原生林と呼べるとこ
      ろは無い。
      薪炭が不要になった事で広葉樹も切られ、唐松が植えられた。

      植林がほぼ終わった昭和40年代後半から外材の輸入や需要の変化で材木が
      売 れなくなり、経済性が低下した。同時に工業化の時代となり若者は農林業
      から離れ、山の手入れをする者がいなくなった。

      このような事情で、せっかく植林した私有林は、成長に応じてやらなければなら
      ない手入れが全くされなくなった。
      幸い、山辺谷総面積の半分を管理する財産区は分収林事業を取り入れ、資金
      を創出して間伐をしている。更に財産区が運営する「ひのきの湯」温泉や山林の
      賃貸収入により山を守っている。

      そうした収入のない多くの財産区は解体の瀬戸際に立たされている。
      山辺の山は見たところ緑に覆われ、美しく安定した状態に見える。山を知らない
      人は自然のままに放っておけばよいと思ってしまう。

      問題点

      ほとんどの人は現状の山を安定状態と理解している。或いは無関心で、遊びに行
      くときだけの山である。
      自然の法則からはみだしている人類として、社会的にすべきことを忘れている。

      間伐しない唐松は根の張りが悪い。互いに競ってウド状に成長している。
      普通の風なら互いに支柱となって支え合っている。しかし一旦台風や雪の重みで
      バランスが崩れれば将棋倒しになる。

      事例として、三城牧場の「県民の森」に間伐が出来ていながら根こそぎ倒れた直
      径30センチを越える唐松が何本かある。又、王が鼻の駒越林道側には1町歩規
      模の風倒があると牧場職員から聞い ている。扉峠を越えた和田村では一昨年、
      着氷で折れたり倒れ、広範囲に被害を受けた。

      この先、材木が必要になったときどうするか。海外依存や弱小国の犠牲を何時ま
      でも続けられないのは確かであれば、伐採するようになったときどうするかを考え
      なければならない。

      森の状態と川の流れ

      唐松は成長過程で沢山の水を吸い上げ蒸散する。又葉からヤニ状の液を落とす。
      そうした現象は50年生ほどでその量が減少すると山の人たちは言う。

      それを裏付けるように、昭和46年ころ飲み水に利用した小さな流れが徐々に少な
      くなった。
      又、財産区の地図上にある、何箇所かの水場も湧水が涸れている。春の融雪期
      すすき川の増水も左程でなくなった。

      扉温泉で営業する社長は「雪解けに玄関先の道路が毎年水びたしになったが近
      年は無い」と言う。確かにいつも川底にだけ流れている。
      とにかく山が緑に覆われるにつれて、30年代まで堤防決壊をおこしたすすき川は
      温和な流れになった。

      ところが昨年、一昨年と長年見ない大水が一度づつあり、市街地で浸水した。
      山の人たちの言うように、50年近くなった唐松の吸い上げる水の量が減ったため
      かも知れない。

      自然の大きな力は人間の計算の範囲を超えて惨事をひきおこす。
      一昨年、標高約800米を超える山辺の唐松は芽吹きに僅か緑になったが、秋ま
      で茶色であった。
      その前年も山の色が悪かった。原因は虫の被害である。体長5〜7mm、薄緑の
      虫が大量発生した広葉樹と混生する唐松は比較的に被害が少なかった。材木屋
      さんは、枯死寸前までなった唐松は用材としてかなり質が低下 したと言う。

      材木の経済性をほとんど考えていない昨今だから、それほど深刻な話題になら
      なかった。
      しかし、もし3年目の被害があったら、山辺の山は枯れ木に覆われ、保水力を失
      なって、台風など比較にならない大被害をもたらしたであろう。

       まとめ

      山辺の山、約6000町歩の水はすすき川に流れ込む。すすき川は永く荒れる川で
      あった。
      400年前、松本城が築かれた。
      築城の用材はもちろん、城下町の武家屋敷や商家の建築木材のほか薪炭の需
      要が生まれ、身近な山辺谷は、格好の供給源となった。
      以来、山は暇なく伐採され森林機能が失われた。洪水が頻発したことは松本市
      史が伝えている。
      洪水は昭和三十年代になってもあり、消防団が出動した。

      山辺の森の現状は温和に見えながら、洪水の危険性を抱えている。洪水の原因
      を降水量と森の保水力の両面から見ることを訴える。
      山に政治の目が向き、市民の関心が寄せられて健全な森づくりが望まれる。

      森が健全さを持つまで災害が起こらないだろうか。

      すすき川に洪水防止の大仏ダム計画がある。
      ダムは大規模の自然破壊である。しかし、洪水が松本市街地全域を襲う可能性が
      ある現実は無視できない。


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