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ダムは出来なくて良かった。 しかし・・・

  

 ダムの背景    (1) 水害年表  松本市市街地の河川 勾配4/1000弱
 ダムの背景    (2) 水   道  薄川の洪水で集団移住 私の祖先も
 ダムの背景    (3) 事業経過  思考の膠着    ”いいてほうけ”
 ダムの背景  (4) 主要な経過  水田のダム機能  機能発揮のてだて
 
 哲ちゃん      病床の涙  脱ダム宣言     発想の転換
 大仏ダム中止   質の高い治水策へ  ダムと地元民    田中知事に期待
 らちがあかない  我慢の限度
 薄川の具体的洪水対策 理想と経済
 親の背をみて子は育たない
 長野県人は弁証法が理解できない
 新たな課題    悩みの種、再び
 建設か、取り止めか、早く結論を
 疑問符の付く発言  世論を動かす
 大仏ダム     公共の福利とは?

 

         ダムと地元民(大仏ダム)    Fri, 03 Aug 2001 20:42:20
大仏ダム計画に対して、地元入山辺住民は当初から反対であった。
父祖伝来の地を失い、住家が水没する。ダムによる気温変化が農業に与える影響も心配された。自然保護の声も強かった。

ビ−ナスラインはいらない,ダムも造らないでくれ、郷土の自然に対する愛着から地元民はそう願った。
「大仏ダム建設反対期成同盟」が対話の方向で「薄川総合開発大仏ダム建設対策委員会」となるには次のような経過がある。

薄川の洪水対策はダムが最も安上がりで効果的な方法だと地元へ説明があった国や県の施策に従わないと必要な事業もやってもらえない。
例えば、地区内の県道は普通車の避け違いに苦労する。観光地、美ヶ原を抱えながら、ビ−ナスラインへの大型車通行止め、県道美ヶ原公園線は下り一方通行である。

地元民が対話の方向に傾いたのは、そうした締め付けのほかに暮らしの変化がある。
農林業の経済性が低下し、農地や山林への執着が薄れた。ダム問題の起きた当時、手入れの行き届いていた田畑は荒れ、山林は放置されている。

「出来うるかぎり、コンクリ−トで固めたダムを造らない」、「洪水対策として、森林への手立てをする」これは地元民が胸の内に希求してきた理念である。
求めても相手にされなかったところに、焦点がしぼられてきた。

今晩、田中知事が当地を訪れ、住民との対話があった。
田中知事の目指す方向は、沈没しそうな日本丸の進むべき手本でもある。


                   脱ダム宣言  Thu, 22 Feb 2001 16:08:11
20日、田中長野県知事は「コンクリ−トで固めたダムはつくらない」方向を示した。

先に提示された造林費33%増額の新年度予算案と合わせて理想の治水案である。

今まで何故理想に向かって取り組めなかったのか。

一番の理由は治水対策としてダムが最も安上がりだからである。

次は大仏ダムに松本市の上水道として利用目的があったからである。
都市化、工業化がいちじるしく進んだ昭和30年代、松本市の水不足は深刻であった。豊富な地下水に頼った結果、水位低下の社会問題となった。
昭和57年奈良井ダムから受水開始により上水道の必要がなくなった。

三番目は平成6年、松本市が環境用水として利水参加を申し出たからである。

さて理想に向かって、心もとないのは県議会や県職員との意識のずれである。

緑の国づくりは、いわば裏方で地味な仕事だ。しかも相手は山である。ボランティアの発想もなければ資金が間に合わない。

理想に近づくまでの洪水対策、ダム計画で空白となった地元対策を忘れてはならない。


                  水田のダム機能   Sun, 04 Feb 2001 14:51:42
リンクにある「水田の保水力(食糧庁)」は、日本の水田の保水力は全ダムの3.4倍だと云う。
確かに水田には洪水調整に役立つ機能はあるが、それを生かすための「てだて」が必要である。
森林は浸透したり、木の葉の細かな貯留で保水するが、水田のダム機能は人為的に貯水力をどのように機能させるかである。

河川の水量は雪解け、梅雨時、秋雨に増す。
雪解け、秋雨時期は水田に水を入れてないから、水田に貯水できる。(但しこの時期は排水口を開けて水が溜まらないようにしてある)
問題は梅雨時を主とする稲作の潅水期である。

稲作の潅水期、農家は水稲の成長状況を見ながら水量を調節している。
水田に溢れるほど水が入れば、土の畦畔が崩れるので、大雨が降り続けば、水田の「あとを払って(水田の排水口を開いて)」しまう。

だから、無策だと時には洪水を助長することがあっても、防止の機能は果たさない
水田にダム機能を持たせるには、洪水の危険の際、農家に特別の水管理をしてもらうことである。

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                 松本市市街地の河川   Fri, 29 Dec 2000 11:04:53
四方を山に囲まれた松本盆地。何本かの河川が市街地で合流する。
自然のままの状態で築堤がなければ、JR松本駅を中心とした一帯は河原である

然も、本来大門沢に流れた女鳥羽川は、松本城の外堀にするため迂回された。薄川も同様で自然に逆らった無理がある。

河原、沼地に形成された松本市街地に便法で造った河川の勾配は極めて小さい。
ちなみに、最も危険地帯とされる筑摩橋から新橋の勾配は4/1000に満たない。
排水や下水工事の最低勾配は1/100と聞くから比較して極めて少ない数値である。

視覚的に理解するなら、河川と並走するJR篠ノ井線、松本駅のプラットホ−ムに立てばよい。線路はほぼ水平である。
中條鉄橋は薄川に直接架かり、新橋で線路と堤防は10m程度の標高差である。

数字の4/1000は地図上からひろって算出した。
筑摩〜新橋の標高差17.8m。同距離4.6kmである。

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              薄川の洪水で集団移住   Tue, 05 Dec 2000 09:47:12
山辺谷を流れた薄川が扇状地となるあたり、左岸高台に橋倉町会がある。
町会員の住居は昔、薄川のほとり八竜地籍にあった。

薄川の扇状地は、稲作文化の黎明期から水田が開かれたとされる。
扇状の要となる八竜地籍は容易に引水でき、平常はもっとも安定した稲作地である。

しかし、洪水になると扇状の起点には濁流が巨大な竜蛇となって襲いかかり、ここから広がって今の松本市街地に向かった。八竜の地名の由来であろう。

度重なる水害を逃れ、住民は逐次現在地に移住した。
最後に残った1軒も明治時代末に移住し、氏神の浅間神社は近くの薄宮に移された。

八竜には現在、松本市立山辺小学校がある。
薄川の河川より4、5米は高いと思う。
圃場整備で周辺の作り土約20センチを剥ぎ取ったとき、一帯は正に河原で洪水の氾濫原を再現した。
校舎の裏手から段丘になり、洪水の限界を検分した。

八竜地籍の土地登記簿は実際の所有者と違ったり、複雑に入り組んでいて宅地化の際、紛争があった。
明治以降の水害で地形が変わったことを物語っている。

近年の薄川の流れや、少々の増水の認識で治水を考える人に八竜橋に立って、この橋を超える流れを頭に描いてほしい。

我が家も移住した中の1軒である。

               市民タイムスへ投稿した同趣旨の記事

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                  思考の膠着    Mon, 04 Dec 2000 10:19:18

白か黒か。二者択一で主張し合う場面に、頻繁に遭遇する。
知恵を集めるための発言が、主張と否定だけに終始する。
稀弱な根拠で平然と一方的に喋り捲るのを当地では「いいてほうけ」とか「でほうけ」と言う。「言いたい放題」の意で顰蹙の的となる。

治水は趣味、嗜好の問題ではない。
自然の法則に反して、人間社会がエゴイズムで行う行為である。
自然と共生するにも、所詮は人間の都合である。
人間のエゴイズムが何処まで許されるか。

大きな課題を抱えて、文殊の知恵は聞く耳を持ってこそ生まれる。
歴史、識者、研究者、個々の考えに学ぶ姿勢を持ちたい。

思考が膠着すると視野が狭まり、挙句は感情論になる。
自然災害は、実りなき論争の結論を待っては呉れない。

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                   ダムの背景 (1)   Tue, 28 Nov 2000 13:36:05

水害年表(松本市史−歴史編−近世−P377及び年表)
1635・8・10 薄川洪水、小松より切れ込む。埋橋および川南町浸水床上3尺
1689・5 薄川大洪水、小松橋下で堤防決壊する。
1715・6・17 田川・薄川大洪水、博労町など浸水。
1725・9 田川満水・白板村10軒流没、防材御林から下渡し。
1728・8・3 薄川小松橋下で切れ、蛇川・中川と合流源地へ押し出し南町全部浸水、女鳥羽川は御堀と合水し海の如くなる。
1730・5 薄川・女鳥羽川氾濫、城下町の大半浸水する。
1731・8 薄川は小松橋下で、長沢川は埋橋下で、女鳥羽川は岡宮上で田川は出川で決壊する。全町浸水、大手橋を除き諸橋残らず流失する。
1738・5・7 降雨続き諸川出水。薄川小松で切れ、埋橋・博労町浸水する。
1742・8 女鳥羽川水汲下で切れ込み、安原・横田・和泉町を襲う。薄川氾濫し、宮村・小池町を浸す。
1747・8・19 大風雨、女鳥羽川水汲下で切れ込み、安原・和泉・東町本瀬となる
1765・4・16 薄川小松天王宮下で切れ込み、埋橋3尺浸水。全久院黒門前で本町1丁目西側、女鳥羽川に流れ落ちる。
1778・8・25 薄川小松天王宮下で切れ、松本浸水、2尺となる。
1779・7 女鳥羽川洪水、薄川小松で切れ、縄手・六九・宮村・小池・飯田・東町浸水する。
1807・6・12 薄川が小松で切れ、松本町で床下浸水が62戸となる。女鳥羽川も切れ、餌差町・裏町・横町で流水家屋が出る。
1819・5・14 薄川が埋橋で切れ、博労町が被害をうける。
1828・7・1 薄川洪水となり、小松下より切れ、川南方面浸水する。
1842・5・17 薄川・女鳥羽川が決壊し、城下一円に浸水する。大手橋を除いて橋がすべて落ちる。
1860・11・19 薄川・女鳥羽川で大きな被害を出し、城下町への道路が寸断された。
1865・閏5・17 田川・薄川・女鳥羽川・奈良井川などが切れ込み、各地で大きな被害を出す。
1868・4 翌月にかけて長雨が続き、奈良井川・薄川・田川・牛伏川など堤防が決壊、女鳥羽川も氾濫し、被害がでる。
1877・12 薄川堤防を東の里山辺村境から西の田川・深志村境まで修繕を行う。
1881・9・13 激しい風雨で薄川・長沢川が満水となり、川南に浸水。
1882・5 雨が8日つづき、里山辺村の総作場と埋橋下の堤防が決壊し、埋橋から巾上にかけて南深志が浸水。
1882・10・1 大雨のため、小松下と博労町の東で薄川が北に切れ込み、川南一円が浸水。中町と本町の辻が深い堀となる。
1883・4・15 薄川が決壊し、横町・宮村町・小池町を除く川南一円浸水。
1884・7・29 薄川の出水で中林・御岳・大柳・県の堤防が決壊して水害となる。
1905・8・25 薄川の増水のため、仮橋はすべて流失。
1907・8・23 薄川・女鳥羽川氾濫。市内・里山辺浸水。
1911・6 薄川の決壊により、筑摩神社社殿が一部破損し埋没する。女鳥羽川の増水、和泉川の氾濫により大きな被害がでる。
1911・8・4 薄川の堤防が決壊、激浪は北小松に浸水、さらに南深志全域を襲う。強風あり、鎖川が増水し堤防が決壊。
以下県の資料
1929・9
筑摩地籍で55m、北小松地籍で40m堤防が決壊し、浸水被害が出た。
1932・7 里山辺地籍で堤防が70m決壊、流失橋梁1、中電第二、三、四発電所発電不能、また、南小松地籍で堤防が決壊し消防団員が牛枠と共に流され、重傷を負った。
1935・6 入山辺で堤防が20m、逢初橋上流でも堤防が決壊し、博労町を始め川南が浸水した。
1941・6 入山辺舟付橋下流で右岸の堤防が二箇所で決壊した。
1945・10 台風と前線による豪雨により女鳥羽川が決壊した。
1949・8 キティ台風による豪雨により女鳥羽川が決壊した。
1959・8 入山辺の厩所地籍で堤防が決壊し、入山辺の大手橋が流失した。また女鳥羽川が氾濫し、奈良井川の堤防も決壊した。
1961・6 中条東・南方・舟付・大仏で護岸決壊、一本橋流失、八竜橋一部流失。国府町などで22戸浸水。
1971・9 洪水により各所で堤防が決壊し、浸水被害が出た。
1983・9 河川が増水し、下流の奈良井川の島内新橋地域で浸水被害。

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                  ダムの背景  (2)     Fri, 15 Dec 2000 17:52:26

        水道(松本市水道七十年史)
年度 給水戸数 給水人口 給水量t/年
大正12 1952 8760 511556
   13 3435 17000
   14 2618077
昭和 3 6838 33848
   10 3059523
   15夏 時間断水
   20 4706420 時間給水
   21
   22 3923705
   23 11月まで〃
   25 5527074
   30 7190613
   31 14610 67862
   35 9242033
   37 10109180
   40 12302066
   41 26498 119840
   42 〜43年、夜間延
33日間給水制限
   43 15399043
   47 20776308
   49 47500 158505
   50 27213166
   51 26846222
   57 26491899 4月奈良井ダム
から32250t/日
受水開始
   61 〃 51600t/日
受水開始
   63 65120 193900
平成 2 〃 58050t/日
受水開始
平成 4   69860 198000 28476815 4月奈良井ダム
から64500t/日
受水開始
 稼動水源
区分 計画取水量t/日 比率% 水源能力t/日 比率%
地下水 57500 47 90400 58
奈良井ダム 64500 53 64500 42
122000 100 154900 100
休止水源
区分 水源能力t/日
主に地下水 32100

*地下水の休止を含めた水源能力に対する計画取水の割合は47%
*奈良井ダムから計画給水量の100%を受水ずみである。
*地下水は松本の財産、大切にしたい。

おいしい水
松本は全国32都市の一つに選ばれている

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                    ダムの背景  (3)   Fri, 22 Dec 2000 08:12:32

                    事業経過    (奈良井川改良事務所説明資料)
予備調査 県単費
年度 事業費(千円) 調査内容
昭和44 880 弾性波探査 7側線940m
   45
   46 280 地表踏査(S=2000) 2Km²
   47 4000 ボ―リング3本130m 弾性波探査 4側線 1300m
   48 100 経済調査
   49 4406 ボ−リング3本150m
9666 ボ―リング6本280m 弾性波探査11側線 2240m
実施計画
調査
公共事業費
(千円)
   50 10000 航空測量地形図(S=1:1000) 7.5km²
雨量計設置2基
   51 8000 環境影響調査
   52 4000 地表踏査(S=1:1000)km²
   53 8000 扉地区原石山弾性波探査1500m
地表踏査2km²
   54 15000 (S55へ繰越)
   55 15000 扉地区原石山ホ−リング8本420m
調査横坑1本44m 骨材試験
   56 13000 水位計設置1基 (その他S57へ繰越)
   57 10000 ボ−リング4本294.5m
   58 5000 ボ―リング1本51.2m
   59 4000 ボ―リング1本69.8m
   60 30000 ボ−リング4本260.0m コア−収納庫建設
地形図測量(S=1:500)0.152km²
   61 40000 ボ−リング6本390.0m調査横坑1本50m
   62 40000 ボ−リング5本345.0m
地質調査0.2km²      低水解析
   63 60000 ボ―リング7本493.0m   高水解析
調査横坑1本61.3m   ダムタイプ比較検討
平成 1 72000 ボ―リング6本490.0m  調査横坑1本65.0m
六郎沢地区原石山 ボ−リング4本160m
地表踏査0.5km²  弾性波探査2000m
    2 80000 調査横坑2本150.0m ホ−リング1本50m
地形測量A0.276km²  気象観測施設設置2ヶ所
六郎沢地区原石山ボ−リング1本50m
コア−収納庫改築
    3 100000 ボ―リング4本340.0m 第四紀断層調査
調査横坑1本140.0m  低高水解析
    4 100000 ボ−リング6本535.0m 
低高水解析  地質解析  水質調査
    5 100000 ボ―リング4本265m 岩盤剪断試験4ヶ所
低水解析 地質総合解析 水質調査
    6 100000 ボ―リング2本160m 六郎沢原石山ボ―リング3本150m
低水解析 地質解析 水質調査
貯水池周辺ボ―リング1本45m 弾性波探査2本600m
    7 100000 ボ―リング1本110m 六郎沢原石山ボ−リング3本190m
低水解析 地質調査 水質調査 ダム概略設計
事業計画書作成
    8
    9
   10
   11
   12


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                   ダムの背景  (4)  Mon, 01 Jan 2001 11:34:16

                   主要な経過    (奈良井川改良事務所)
昭和
44年
松本市長、山辺地区開発促進協議会長より砂防ダム建設の陳情を受け、
以来県単費を投資して昭和49年まで予備調査を実施する。
50年
4月
松本市、塩尻市の水道用水31000m³/日の利水参加を含む多目的ダムとし
て実施計画調査が採択される。
7月 ダム建設計画について入山辺地区町会長に概要を説明したが、「大仏ダム
建設反対期成同盟会が結成され、建設反対陳情を受ける。
51年〜
59年
ダム建設予定地の地元地区に対して説明会を繰り返し実施したが、事業受
け入れ拒否が続き、一向に事業の進展は見られなかった。
59年
3月
ダム建設予定地の地元地区との間で調査と工事は切り離して進めること、
毎年度説明会を開き地元の了解を得て調査に着手することで合意。ボ―リ
ング調査に着手する。
60年
5月
当初利水参加を表明していた松本市、塩尻市が、奈良井ダム完成に伴う水道計画の見直しを申し出る。
平成
3年
4月
「大仏ダム建設反対期成同盟会」が「大仏ダム建設対策委員会」に改称す
る。
6年
6月
6月1日付で松本建設事務所長と松本市長との間で3000m³/日の新規利
水参加の確認書が締結される。
7年
6月
「大仏ダム建設に反対する市民の会」が結成され、ダム建設反対運動が
活発化する。
7月 「大仏ダム建設に反対する市民の会」が松本市長へ大仏ダム建設中止要
請を申し入れる。
10〜11月 薄川沿川の町会長を対象に大仏ダム概略説明会を実施する。
11月 「大仏ダムに反対する市民の会」が長野県と建設省へ大仏ダム建設中止
要請を申し入れる。
8年
2月
県内18のダム建設反対団体が「長野県ダム問題連絡協議会」を結成し、
県内の他ダムを含めた横断的なダム建設反対運動が展開される。
6月 「長野県ダム問題連絡協議会」が長野県土木部長にダム建設の中止とダ
ム政策の転換を申し入れる。
10月 「山辺地区開発促進協議会」に「大仏ダム特別対策委員会」が設置される
9年
4月
「大仏ダム建設に反対する市民の会」が建設省へダム建設中止を陳情す
る。
4月
28日
田口哲男他8名が「大仏ダム建設差し止め請求」を長野地方裁判所松本
支部へ提訴する。
8月 「山辺地区開発促進協議会」「すすき川をきれいにする会」「清水溝渠・地
蔵川をきれいにする会」が合同で「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議
会」を結成し、大仏ダム早期建設促進署名を行う。
9月 「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議会」が松本市長と長野県知事へダ
ム建設促進を陳情する。
10年10月 「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議会」が建設省へ大仏ダム早期建
設を要望する。
12月 「長野県公共事業評価監視委員会」は、大仏ダムについて「利水計画に
ついて市と必要性を含め協議し、計画の見直しを行って、事業の促進を
図られたい。また、地域住民に対しては引き続き十分な説明をされたい。
なお平成11年度においても本委員会での審議箇所とされたい」との意見
書を提出する。
12月 「長野県公共事業再評価委員会」は、大仏ダムについて監視委員会の意
見をふまえ「利水計画について市と必要性を含め協議し、計画の見直しを
行って、事業を進める。また、地域住民に対しては、引き続き十分な説明
を行い、事業を継続する。平成11年度も再評価を行う」という対応方針を
決定する。
11年
6月1日
松本市長が大仏ダムへの利水参加辞退を申し出る。
6月 「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議会」がダム建設促進を松本市長及
び長野県知事へ陳情する。
7月 「長野県公共事業評価監視委員会」は大仏ダムについて、「事業採択後、
流域の人口増・都市化の進展等、社会状況が変化しており、治水対策の
必要性は増している。事業を進めるに当たっては、社会情勢の著しい変
化を踏まえ、水系の総合的な河川計画について、地域住民に十分な理解
を得られるように努めるとともに、最新の技術を取り入れ、事業費の縮減
についても検討されたい。また自然環境について十分な配慮をされたい」
との意見書を提出する。
8月 「長野県公共事業再評価委員会」は、大仏ダムについて、監視委員会の
意見を踏まえて「事業採択ごの、社会状況の変化の中で、松本市の利
水参加は辞退となったが、流域の人口増・都市化の進展等により、治水
対策の必要性は増しており、治水上必要なダム計画は継続する。これら
を踏まえ、ダム計画を含めた水系の総合的な河川計画について、地域
住民に十分な説明を行う。また、新技術の活用を検討し、事業費の縮減
に努めるとともに、自然環境にも配慮する」という対応方針を決定する。
12年
2月
「松本市町会連合会常任理事会」において、奈良井川流域の治水対策
と大仏ダム建設計画についての概略説明わ実施する。
2月 「松本市白板町会連合会」へ奈良井川流域の治水対策と大仏ダム建設
計画についての概略説明わ実施する。
3月 「松本市長」「薄川総合開発大仏ダム建設対策委員会」「大仏ダム建設
対策委員会」が連名で大仏ダムの早期建設採択と早期着手を長野県
土木部長へ要望する。
3月 「松本市長」「薄川総合開発大仏ダム建設対策委員会」「大仏ダム建設
対策委員会」が連名で大仏ダムの早期建設採択と早期着手を建設省
(河川局開発課)へ要望する。
6月 薄川の氾濫想定区域を中心とする8地区(中央・第一・第二・第三・庄内
・田川・鎌田・里山辺)の各町会連合会へ奈良井川流域の治水対策と大
仏ダム建設計画についての概略説明を実施する。
7月 薄川下流のの氾濫想定区域を中心とする11地区(中央・第一・第二・第
三・東部・白板・田川・庄内・鎌田・里山辺・入山辺)167町会の町会長が
結集して「大仏ダム建設促進市民の会」を設立する。
7月 「松本市長」「大仏ダム建設促進市民の会」が、大仏ダムの早期建設採
択と早期事業着手を長野県土木部長へ要望する。
7月 「松本市長」「大仏ダム建設促進市民の会」が、大仏ダムの早期建設採
択と早期事業着手を建設省河川局開発課へ要望する。
8月
28日
政府与党3党による「公共事業の抜本的見直しに関する三党合意」の決
定され「ダム事業において実施計画調査が予算化された時点から10年
以上経過した後も未採択の事業」として「大仏ダム」が中止勧告の対象
になる。
9月 政府与党3党による「公共事業の抜本的見直しに関する三党合意」の決
定で「大仏ダム」が中止勧告の対象になったことから、事業評価監視委
員会に意見を求めるよう、建設省から要請を受ける。
9月 「長野県公共事業評価監視委員会」、中止勧告のあった大仏ダムにつ
いて
(1)本ダムは昭和50年に塩尻、松本両市の利水と薄川の治水を目的と
  して実施計画調査に入ったが、昭和62年に塩尻、平成11年に松本
  の両市から相次いで利水は辞退する旨の申し入れを受け、多目的
  ダムから治水ダムに変更された。公共事業に対する国の動き、その
  背後にある社会情勢の変化に鑑み、費用効果、経済性、著しい技
  術の進歩等を十分検討、調査し、その結果を委員会へ提示し、意見
  聴取されたい。その上で当委員会としての判断をしたい。
(2)計画策定の段階から治水上の用件と社会的費用について、地域住
  民に十分な説明をし、その意見を踏まえた河川改修計画の策定に努
  められたい
との意見書を提出する。
10月 「長野県公共事業再評価委員会」は、大仏ダムについて、監視委員会
の意見を踏まえて、「多目的ダムは中止するが、治水ダムとしての調査
は、下記に留意の上継続する。
(1)公共事業に対する国の動き、その背後にある社会情勢の変化に鑑
   み、費用効果、経済性、著しい技術進歩等を十分検討する。また、
   その結果について監視委員会に報告し、意見を求める。
(2)計画策定の段階から、治水上の要件と社会的費用について地域住
  民に十分説明をし、その意見を踏まえた河川改修計画の策定に努め
  る。
という対応方針を決定する。
11月14日 新知事に赴任した田中康夫氏が、薄川下流から大仏ダム予定地及び
扉砂防ダムを現地視察し、松本市教育文化センタ−において「住民と
の対話」集会を実施する。同日記者団に対して「薄川について、治水の
観点から関係する課を庁内横断的に検討させ、早い時期に考えを示し
たい」旨の発言をする。
11月15日 長野県知事が記者会見で、大仏ダムについて、「ダムを主たる選択肢
として検討することはない」とダム計画を事実上撤回する考えを表明。
11月24日 建設省河戦局長あてに「大仏ダムについては事業中止とする」文書を
知事名で送付する。
11月
28日
建設省が大仏ダムの事業中止を記者発表する。同日、建設省河川局
長は、長野県知事あてに「建設省所管公共事業の再評価に係る対応
方針について」を通知する。大仏ダムは「実施計画調査に着手後10年
以上経過して、採択されない事業」の見直し基準により「水需要が減少
し、計画の見直しが必要となることから、多目的ダムとしての必要性が
なくなり、事業を中止する」という理由により、事業中止が通知される。
12月
7日
田口哲男氏を代表とする9名が、平成9年4月28日に長野地方裁判所
松本支部へ提訴していた「ダム建設差し止め請求」について、ダム事
業の中止決定により請求の理由がなくなったとして、請求を取り下げる

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                  哲ちゃん   Sun, 26 Nov 2000 16:47:41
哲ちゃんの家は、大仏ダムの水没予定地にあった。
昭和44年、ダムの予備調査が始まった時、父親の源吉さんは先祖伝来の家、屋敷、田畑を守るため計画に反対した。

その時、哲ちゃんは20歳であった。
中学卒業後、父親を援け家業の農林業に励んでいた。

家のすぐ裏を流れる薄川で岩魚を釣り、山を駆け巡って茸を採った。
強力なヘッドランプを点けて、一晩中マツタケの代を巡回することもあった。
収穫物は旅館に売って生活を助けた。

山野草、小鳥など山のことなら何でも知っていて、人の行かない山の隅々まで熟知していた。

川沿いの集落は水田が少ない。
戦中、戦後の食糧難を体験した親子は、澤沿いの傾斜地を削って開田した。
重機に頼れない、ツルハシとスコップの作業であった。

静かな山里の暮らしに時代の波が押し寄せ、哲ちゃんは勤めに出た。
自動車修理工場で勤勉に働いた。
その後、器用さを見込まれ、親戚先のカメラのレンズ工場に機械保守の責任者として転職した。

既に四十歳近くなった哲ちゃんの周辺は、ダムのほかに家の前を道る県道拡幅問題があった。
拡幅の潰れ地補償をもらっても、残りの敷地が狭くなり現在地に建てるのは無理である。
ダム建設なら敷地、建物が補償される。

今、五十一歳になった哲ちゃんは、リハビリで有名な鹿教湯病院に入院している
一昨年、軽い脳溢血を起こし、順調に回復していた。
医者のリハビリ指導のほかに、朝五時には起床して病院の廊下を歩き、機能
回復の努力をした。
退院が迫って再発し、全身不随の上言語障害である。

平成元年、レンズ工場は企業の海外進出で閉鎖になり、哲ちゃんは失職した。
不安定な日雇い仕事をしていたが、五年ほど前造園業に就職した。
そんな中、山に未練があるので、近くの土地を譲り受け家を建てた。
借金返済で休日は農家の仕事を請け負った。

全く動けず、しゃべれない哲ちゃんだが、イエスは口を開き、ノ−はベロを出して受答えする。
話題に気をつけないと、すぐ無念の涙を流し、声にならない声で嗚咽する。

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                  大仏ダム中止   Sat, 25 Nov 2000 16:19:25
県は24日、建設省に大仏ダムの事業中止を報告し、31年の歴史を閉じた。

この結末は失政の帰着であるが、世相の変遷である。
新たに出発する洪水対策は時代の評価に耐えるものを、早期に建設してほしい。

ダムは洪水対策の中で最も安価で効果を期待された。
しかし世論は、自然環境に配慮した高邁な理念の方策を求めた。
必要のために、たとえ経済負担が増しても代替案を進めなければならない。

報じられる遊水池構想は今だ予定地の地元に話がない。
まだ計画検討中でやむを得ない面もあるが、中止については確定だから地元へ即刻伝達し、遅れた生活関連事業の推進を図ってもらいたい。

遊水池案を想定すると、ダム以上の耕作地を潰すことになる。
自然度の高い工法で、河川公園、体験農場など造り、平常利用できるようするのが良い。

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             らちがあかない  Thu, 23 Nov 2000 11:03:03
大仏ダム問題で、地元民は31年間トタン屋根の猫であった。

当初の昭和44年ころまで、流域住民は水害を身近に体験していた。
水源確保も切実であったので、地元民は建設推進の矢面に立たされた。

31年の歳月は必要性に変化を来たし、自然環境、社会環境が様相を変えた。
植林された唐松の成長と共に薄川の水が減少し、世間の関心もこれに合わせて薄れて行った。

しかし、住民は長野県が設置した「想定水位線」の看板を毎日見ながら生活し、成行を見守ってきた。

この地はもう一つ大きな問題を抱えている。
美ヶ原の台上道路である。

どちらも本来、地元民が要望した話でないが、問題解決の結果待ちで道路・河川改善は先送りとなった。
31年間である。

ここ10年ほど、松本市が要望する県政の重点事項を六項目ほどにまとめる中に
いつもこの二項目は入っていた。その都度地元全県議が共同提案している。
今年も又、である。

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              薄川の具体的洪水対策  Wed, 22 Nov 2000 14:32:16
1 流域山林の保水力維持
2 遊水池建設
3 危険ヶ所の河川拡幅
4    同  堤防嵩上げ
5 ダム建設

方法はこの五つで、順位もこのように考える。
ところが1の山林についての政策、世論は乏しく実現の可能性を望めない。自助努力と粘り強い運動を続けて世論の喚起を促したい。
2の遊水池もアメリカではダム建設を基本的に考えない、ドイツは自然に配慮した遊水池と聞いても、日本社会の合意にほど遠いと思っていた。

今回、急浮上の遊水池構想は地元にとって寝耳に水であるが、日本の社会資本投資理念の高揚はうれしい。

知事が現地視察の対話集会で「河川の浚渫」が出た。
前々からこの案に対し「効果なし」とマスコミに投書していたので私の名前が持ち出された。
当日は、「それは洪水対策にならない補足的手段である」と申し上げた。

田舎に住んで、雨後の道路補修や水田管理の経験で効果の程が分かる。
近年30年以内にあった大水なら、埋まるたびに浚渫して、ある程度被害を防げるし、流木も流れやすい。

然し論点の洪水は違う。
周囲から流れ込む河川は天井川の部分が多く、市街地の川に流れ込む。
洪水発生の際はどの川も増水して水位が上がる。
河川の落差が少ないので単位横断面/secの流量が減じ、流速減は土砂の堆積となる。
危惧する洪水の場合、現状河川の浚渫だと、短時間に埋め戻される。

上流からの水量をそのままとすれば、問題の水位レベルを下げるには、如何に川下へ流すかである。「日本海まで掘り下げなければ」となるのである。
災害は松本だけ避ければよいと言うものではない。
標高600米の松本から平均的な落差で新潟までにするのは無理。
従って浚渫は洪水対策の補足手段で、抜本対策にならないとの弁証法的説明である。

被害の怖れあるある地域住民は、ほとんど無関心で署名運動や町会決議もダム建設が怪しくなってからである。会議への出席率も悪いと聞いている。

その中で浚渫を熱心に訴える横内さんには、敬意を感じていた。
知事と同じくらいの年代で、意見が合ったらしく、打ち合わせの上現地視察したそうだ。
観念的にお分かりのようですが、お二人の知らない、薄川の恐ろしい顔があるのです。

           薄川洪水対策の比較検討(長野県)
遊水池案
遊水池により、大仏ダムと同じ洪水調節容量342万m³の貯留量を確保するには、水深5mとした場合でも約70haの土地を上流部に確保する必要があり、用地の確保が困難である。
バイパス河川案
大仏ダムの洪水調節量230m³/sと同じ流下能力を持つ河川を新設する場合、河川幅が管理用道路を含めて26.0m程度必要となり、薄川沿川の土地利用状況から困難である。
河道拡幅案
河道拡幅により両側へ約10mずつ拡幅する必要がある。しかし、薄川沿川は市街化が著しく進んでいるため多くの人家の移転が必要となり、実施困難である。(橋梁8橋架替必要)
また、田川、奈良井川の改修済み区間の再改修が必要となる。
嵩上げ案
現在天井川である薄川をさらに嵩上げすることになり危険度が増す。また、JR橋を含め9橋の架け替えと松本駅全体の軌道敷の盤上げも必要となり、実施困難である。
また、田川、奈良井川の改修済み区間の再改修が必要となる。
河床掘削案
松本市街地は地下水位が高く、河床の掘り下げに伴い周辺の地下水利用に影響を及ぼす恐れがある。また、田川及び奈良井川河床掘削も必要となる。
(現在実施中の2mの掘り下げが限度)

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                親の背をみて子は育たない
                            Sat, 18 Nov 2000 16:29:29
昔の子は親の背を見て教訓された。

生きることが大変な時代、親はひたすら働き、子も働いた。
苦労を共にした時、真摯な姿に教えられる。
知事との対話集会で賛否両論を聞きながら、頭の片隅でそんなことを思った

「薄川の洪水」を身に沁みて心配している人が何人いただろうか。
観念的理解では対策手段が違ってくる。

幸せなことに荒れる薄川を知る人は少なくなった。
然しそれは偶然の結果、森林の保水力が増したからにすぎない。
治山治水に努力したわけではない。今後のてだてもされていない。

洪水対策論議は、統計上の降雨量もさりながら、山の現況との関わりが肝要である。
対策の必要性の論拠となる部分なのに対話集会の例でも、県の林務部は出席
しなかった。

山に目が向くのは、遊びに行く時と、水がほしい時だけなのか。

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               長野県人は弁証法が理解できない?
                               Fri, 17 Nov 2000 19:12:34

田中知事は大仏ダムの現地視察後、住民との対話集会で「弁証法の意味も分からない、長野県教育を考えなければ」の発言があった。
他意のない率直な声だろうけれど十把一からげである。
知事も、地元民なら誰でも分かる「原石山って何」と質問したではないですか。

分かりやすい言葉で対話して、民意を汲みとって下さい。

浚渫の遅滞を弁明する土木部長に「県予算の2割を持っているじゃありませんか」
は辛辣。
対応はありがたいが、内輪もめは嫌だ。

知事は長野県を代表する偉い人です。
長野県を愛する有能な県職員がいるはず。頭から発言を押さえず育ててほしい。
歴史に残る、名刺折り曲げ事件の温情処理との落差が気になりました。

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                    新たな課題    Thu, 16 Nov 2000 21:08:03

今日の報道では大仏ダム建設の可能性はゼロに近いとある。
可能性の高いのは遊水池。場所は金華橋の上流4、5kmの耕作地約80haを想定されると言う。

ドイツでは既に近自然工法で遊水池を設け河川改修を行っているとの記事を読んだ憶えがある。合理主義のドイツらしい、生態系にも配慮した取り組みがうらやましかった。

金華橋から4、5km上流とは何処だろう。
車のメ−タ−で測ってみると、天皇陛下が皇太子時代宿泊された霞山荘あたりになる。

なるほど、ふさわしい地形である。
川沿いに80haも耕作地があるだろうか。地区内全部の水田で80haの山間地である。

足を延ばしてダム計画では水没予定の家に寄ってみた。ダム対策の役員なので詳しい事情を聞くつもりだった。
「70歳になるが、39歳からダムで大変な思いをした。ダムを止めて遊水池にするそうだから下の方に造ると思っていた」とのこと。
ダム予定地が遊水池の予定地になっていることは知らなかった。

地元では、近年ようやくダム建設同意の足並みが揃ったばかりである。
又幾晩か、会議のやり直しだ。
ダム以上の潰れ地を必要とする計画変更の挨拶はないのだろうか。

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              建設か、取り止めか、早く結論を。
                            Wed, 15 Nov 2000 18:52:51
昭和44年に大仏ダム建設計画が示された。
49年まで予備調査で12本のボ−リングを行い、50年から実施計画調査になった

実施計画調査は建設を前提としており、地元住民はこれを容認してきた。
にも拘わらずこの31年間、地元の公共事業はストップ状態である。

世の中が著しく進歩発展した時代、ダムという難題に当面し、苦悩と疎外にさらされた。
             

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                  疑問符の付く発言   Wed, 15 Nov 2000 20:59:25

発言者は匿名にします。発言内容に間違いがありましたらお詫びととも
に訂正いたします。
          発言            コメント
薄川は明治以来100年洪水のない川 江戸時代から度々氾乱の記録があります
発電所が4ヶ所あるので水が少ない 発電の水は100%薄川に戻ります
地下水が少なくなる 増える可能性の方が大きい
地元が反対しなければ今ごろは出来ていた 予備調査・事前調査を容認してきた
松本城の環境用水にしたい 薄川の安定流水の環境を考えたい
ダム計画の規模を示さなかった 最初から聞いていた。関心がなかったのでは?
反対しているから公共事業はしない 予備調査・事前調査を容認してきた
必要性の計画説明がなかった      
浚渫すればよい 補足的手段で抜本策でありません
地元13軒のためにつくる必要ない 無責任発言に唖然としました
自然の摂理で落ち着くところに落ち着く そのとうり。自然の片隅で謙虚に過ごせないのが現実です。
薄川は水が少ないのになぜ騒ぐ 40年代後半から減ってきました。森林
の保水力が増したからです。
手入れ不足の森林が広範囲に風倒の場合洪水となります。
林道宮入線は交通量が少ないから必要ない 昔は暗い内に起きて、歩いて山の手入れに行きました。森林は大きなダムです。山の手入れも車で行く時代。住民の暮らしにご理解を。
森林の保水力を少なく見ている 統計上80年に1度の洪水以上に台風、雪害の倒木が心配です。
’97、’98年には唐松に虫害の大発生がありました。もう1年続いたら枯死し、洪水となったでしょう。
現地視察したがダム決壊の危険性がある。 短時間の視察より、11億円、31年の調査結果と日本の土木技術を信じます。


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                 大仏ダム   12.11.14   
美ヶ原高原を源流とする薄川にダム建設計画がある。   
洪水調整の治水ダムである。

昭和44年から既に31年間、地元住民は振り回され、ライフサイクルの目途がつかなかった。

いよいよ具体化の時期になり、世論が沸いて来た。
ところが真実をふまえた声が少なく、誤った知識や考えの意見が多い。自分の将来をかけて関わった者にとってやりきれない。

長野県は昭和50年から建設を前提とした事前調査に11億円に達する調査費をかけた。
その長野県が最近になって評価監視委員会の「必要性継続調査」の結果を待っている。
だからゼネコン型と言われてしまう。必要性があって建設の可能性を探るのが順序である。

今日、田中康夫知事が現地視察した。治水対策はダムから離れて新たな方向を目指すようだ。踏みにじられた地元住民の暮らしを忘れないでほしい。
                  

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