昭和
44年 |
松本市長、山辺地区開発促進協議会長より砂防ダム建設の陳情を受け、
以来県単費を投資して昭和49年まで予備調査を実施する。
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50年
4月 |
松本市、塩尻市の水道用水31000m³/日の利水参加を含む多目的ダムとし
て実施計画調査が採択される。 |
7月 |
ダム建設計画について入山辺地区町会長に概要を説明したが、「大仏ダム
建設反対期成同盟会が結成され、建設反対陳情を受ける。 |
51年〜
59年 |
ダム建設予定地の地元地区に対して説明会を繰り返し実施したが、事業受
け入れ拒否が続き、一向に事業の進展は見られなかった。 |
59年
3月 |
ダム建設予定地の地元地区との間で調査と工事は切り離して進めること、
毎年度説明会を開き地元の了解を得て調査に着手することで合意。ボ―リ
ング調査に着手する。 |
60年
5月 |
当初利水参加を表明していた松本市、塩尻市が、奈良井ダム完成に伴う水道計画の見直しを申し出る。 |
平成
3年
4月 |
「大仏ダム建設反対期成同盟会」が「大仏ダム建設対策委員会」に改称す
る。 |
6年
6月 |
6月1日付で松本建設事務所長と松本市長との間で3000m³/日の新規利
水参加の確認書が締結される。 |
7年
6月 |
「大仏ダム建設に反対する市民の会」が結成され、ダム建設反対運動が
活発化する。 |
7月 |
「大仏ダム建設に反対する市民の会」が松本市長へ大仏ダム建設中止要
請を申し入れる。 |
10〜11月 |
薄川沿川の町会長を対象に大仏ダム概略説明会を実施する。 |
11月 |
「大仏ダムに反対する市民の会」が長野県と建設省へ大仏ダム建設中止
要請を申し入れる。 |
8年
2月 |
県内18のダム建設反対団体が「長野県ダム問題連絡協議会」を結成し、
県内の他ダムを含めた横断的なダム建設反対運動が展開される。 |
6月 |
「長野県ダム問題連絡協議会」が長野県土木部長にダム建設の中止とダ
ム政策の転換を申し入れる。
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10月 |
「山辺地区開発促進協議会」に「大仏ダム特別対策委員会」が設置される |
9年
4月 |
「大仏ダム建設に反対する市民の会」が建設省へダム建設中止を陳情す
る。 |
4月
28日 |
田口哲男他8名が「大仏ダム建設差し止め請求」を長野地方裁判所松本
支部へ提訴する。 |
8月 |
「山辺地区開発促進協議会」「すすき川をきれいにする会」「清水溝渠・地
蔵川をきれいにする会」が合同で「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議
会」を結成し、大仏ダム早期建設促進署名を行う。 |
9月 |
「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議会」が松本市長と長野県知事へダ
ム建設促進を陳情する。 |
10年10月 |
「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議会」が建設省へ大仏ダム早期建
設を要望する。
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12月 |
「長野県公共事業評価監視委員会」は、大仏ダムについて「利水計画に
ついて市と必要性を含め協議し、計画の見直しを行って、事業の促進を
図られたい。また、地域住民に対しては引き続き十分な説明をされたい。
なお平成11年度においても本委員会での審議箇所とされたい」との意見
書を提出する。 |
12月 |
「長野県公共事業再評価委員会」は、大仏ダムについて監視委員会の意
見をふまえ「利水計画について市と必要性を含め協議し、計画の見直しを
行って、事業を進める。また、地域住民に対しては、引き続き十分な説明
を行い、事業を継続する。平成11年度も再評価を行う」という対応方針を
決定する。 |
11年
6月1日 |
松本市長が大仏ダムへの利水参加辞退を申し出る。 |
6月 |
「薄川総合開発大仏ダム建設促進協議会」がダム建設促進を松本市長及
び長野県知事へ陳情する。 |
7月 |
「長野県公共事業評価監視委員会」は大仏ダムについて、「事業採択後、
流域の人口増・都市化の進展等、社会状況が変化しており、治水対策の
必要性は増している。事業を進めるに当たっては、社会情勢の著しい変
化を踏まえ、水系の総合的な河川計画について、地域住民に十分な理解
を得られるように努めるとともに、最新の技術を取り入れ、事業費の縮減
についても検討されたい。また自然環境について十分な配慮をされたい」
との意見書を提出する。 |
8月 |
「長野県公共事業再評価委員会」は、大仏ダムについて、監視委員会の
意見を踏まえて「事業採択ごの、社会状況の変化の中で、松本市の利
水参加は辞退となったが、流域の人口増・都市化の進展等により、治水
対策の必要性は増しており、治水上必要なダム計画は継続する。これら
を踏まえ、ダム計画を含めた水系の総合的な河川計画について、地域
住民に十分な説明を行う。また、新技術の活用を検討し、事業費の縮減
に努めるとともに、自然環境にも配慮する」という対応方針を決定する。 |
12年
2月 |
「松本市町会連合会常任理事会」において、奈良井川流域の治水対策
と大仏ダム建設計画についての概略説明わ実施する。 |
2月 |
「松本市白板町会連合会」へ奈良井川流域の治水対策と大仏ダム建設
計画についての概略説明わ実施する。 |
3月 |
「松本市長」「薄川総合開発大仏ダム建設対策委員会」「大仏ダム建設
対策委員会」が連名で大仏ダムの早期建設採択と早期着手を長野県
土木部長へ要望する。 |
3月 |
「松本市長」「薄川総合開発大仏ダム建設対策委員会」「大仏ダム建設
対策委員会」が連名で大仏ダムの早期建設採択と早期着手を建設省
(河川局開発課)へ要望する。 |
6月 |
薄川の氾濫想定区域を中心とする8地区(中央・第一・第二・第三・庄内
・田川・鎌田・里山辺)の各町会連合会へ奈良井川流域の治水対策と大
仏ダム建設計画についての概略説明を実施する。 |
7月 |
薄川下流のの氾濫想定区域を中心とする11地区(中央・第一・第二・第
三・東部・白板・田川・庄内・鎌田・里山辺・入山辺)167町会の町会長が
結集して「大仏ダム建設促進市民の会」を設立する。 |
7月 |
「松本市長」「大仏ダム建設促進市民の会」が、大仏ダムの早期建設採
択と早期事業着手を長野県土木部長へ要望する。 |
7月 |
「松本市長」「大仏ダム建設促進市民の会」が、大仏ダムの早期建設採
択と早期事業着手を建設省河川局開発課へ要望する。 |
8月
28日 |
政府与党3党による「公共事業の抜本的見直しに関する三党合意」の決
定され「ダム事業において実施計画調査が予算化された時点から10年
以上経過した後も未採択の事業」として「大仏ダム」が中止勧告の対象
になる。 |
9月 |
政府与党3党による「公共事業の抜本的見直しに関する三党合意」の決
定で「大仏ダム」が中止勧告の対象になったことから、事業評価監視委
員会に意見を求めるよう、建設省から要請を受ける。 |
9月 |
「長野県公共事業評価監視委員会」、中止勧告のあった大仏ダムにつ
いて
(1)本ダムは昭和50年に塩尻、松本両市の利水と薄川の治水を目的と
して実施計画調査に入ったが、昭和62年に塩尻、平成11年に松本
の両市から相次いで利水は辞退する旨の申し入れを受け、多目的
ダムから治水ダムに変更された。公共事業に対する国の動き、その
背後にある社会情勢の変化に鑑み、費用効果、経済性、著しい技
術の進歩等を十分検討、調査し、その結果を委員会へ提示し、意見
聴取されたい。その上で当委員会としての判断をしたい。
(2)計画策定の段階から治水上の用件と社会的費用について、地域住
民に十分な説明をし、その意見を踏まえた河川改修計画の策定に努
められたい
との意見書を提出する。 |
10月 |
「長野県公共事業再評価委員会」は、大仏ダムについて、監視委員会
の意見を踏まえて、「多目的ダムは中止するが、治水ダムとしての調査
は、下記に留意の上継続する。
(1)公共事業に対する国の動き、その背後にある社会情勢の変化に鑑
み、費用効果、経済性、著しい技術進歩等を十分検討する。また、
その結果について監視委員会に報告し、意見を求める。
(2)計画策定の段階から、治水上の要件と社会的費用について地域住
民に十分説明をし、その意見を踏まえた河川改修計画の策定に努め
る。
という対応方針を決定する。 |
11月14日 |
新知事に赴任した田中康夫氏が、薄川下流から大仏ダム予定地及び
扉砂防ダムを現地視察し、松本市教育文化センタ−において「住民と
の対話」集会を実施する。同日記者団に対して「薄川について、治水の
観点から関係する課を庁内横断的に検討させ、早い時期に考えを示し
たい」旨の発言をする。 |
11月15日 |
長野県知事が記者会見で、大仏ダムについて、「ダムを主たる選択肢
として検討することはない」とダム計画を事実上撤回する考えを表明。 |
11月24日 |
建設省河戦局長あてに「大仏ダムについては事業中止とする」文書を
知事名で送付する。 |
11月
28日 |
建設省が大仏ダムの事業中止を記者発表する。同日、建設省河川局
長は、長野県知事あてに「建設省所管公共事業の再評価に係る対応
方針について」を通知する。大仏ダムは「実施計画調査に着手後10年
以上経過して、採択されない事業」の見直し基準により「水需要が減少
し、計画の見直しが必要となることから、多目的ダムとしての必要性が
なくなり、事業を中止する」という理由により、事業中止が通知される。 |
12月
7日 |
田口哲男氏を代表とする9名が、平成9年4月28日に長野地方裁判所
松本支部へ提訴していた「ダム建設差し止め請求」について、ダム事
業の中止決定により請求の理由がなくなったとして、請求を取り下げる |