槍ケ岳山荘からの電送。

『山小屋便り』 平成22年7月9日掲載


1828年槍ヶ岳を開山された播隆上人を案内した槍ヶ岳開山の陰の功労者である中田又
重の銅像が出来てきたので又重の子孫の方たちと鋳造された大沢法我さんの豊科法蔵
寺に出かけました。

中田又重は、三郷村(現安曇野市)小倉、公儀鷹庄屋中田九衛門の分家で、高齢の九
衛門に代わって播隆上人を案内したとされています。彼は、当時信州と飛騨をつなぐ
飛州新道の開削にも従事し、のちには、上高地の開墾も手掛けています。

銅像の制作者小川大系氏は、松本駅前の播隆上人像を手掛けた兄弟子の上條俊介氏と
ともに北村西望師に師事し、本来は、2体で1対として展示すべく制作をされていた
と聞いていますが、諸般の事情により、駅前には、播隆上人の銅像のみが、展示され
ています。

当初の計画を知る人たちは、なんとか一緒にできないか模索してきましたが、現状で
は難しいようです。

子孫の一人中田信一郎さんは、槍ヶ岳に今年播隆上人の登られた道をたどって来られ
るということで、楽しみにしています。


槍ヶ岳山荘 穂苅 康治