植原は、現南安曇郡三郷柑明盛に生まれ、16歳で上京。後に渡米し、ワシントン大学を経て、ロンドン大学で学位を取る。帰国後、明治・立教両大学の教授を歴任。 大正6年に衆議院議員に当選後、在職34年。戦後、吉田内閣の国務大臣、内務大臣を務める。 昭和31年4月白板に開校した松本高等外語学院は、翌年には財政危機に陥る。崩壊の危機を救うため、植原が乗り出して吸収。自身の経験を元に「世界に通用する国際人の育成」を目標に、現在に至る。そのため、現在でも植原の願いを受け、入学式・卒業式で必ず国連旗を掲げている。 |