松本教育を支えた市内私立高校の創設者と理念
 松本第一高等学校   創設者 植原 悦二郎  うえはら えつじろう
 創設  昭和33年  
昭和33年1月 植原悦治郎信濃高等外語学院を創立。松本高等外語学院を吸収。
昭和35年2月 外語学園本郷高等学校設置認可。
      4月 開校。
昭和59年4月 校名を松本第一高等学校に改称。制服変更

 植原は、現南安曇郡三郷柑明盛に生まれ、16歳で上京。後に渡米し、ワシントン大学を経て、ロンドン大学で学位を取る。帰国後、明治・立教両大学の教授を歴任。
大正6年に衆議院議員に当選後、在職34年。戦後、吉田内閣の国務大臣、内務大臣を務める。
昭和31年4月白板に開校した松本高等外語学院は、翌年には財政危機に陥る。崩壊の危機を救うため、植原が乗り出して吸収。自身の経験を元に「世界に通用する国際人の育成」を目標に、現在に至る。そのため、現在でも植原の願いを受け、入学式・卒業式で必ず国連旗を掲げている。