松本教育を支えた市内私立高校の創設者と理念
 松商学園高等学校   創設者 木澤 衆人
今井 五介
 
 きぎわ つろと
いまiい ごすけ
 創設  明治31年  
明治31年8月 木澤鶴人が、自宅の一部を改造して、私塾「私立戌戌学会」を創立。
明治44年10月 経営危機を救うため、今井五介が経営に参加。米沢武平を校長に迎え「松本
商業学校」に改称。
昭和11年 現在地に85万円の巨費を投じ校舎新築。「東洋一」と称せられる。
昭和23年4月 学制改革により、松商学園高等学校に校名を変更。

 木澤は、16歳で単身上京し、漢学塾、東京物理学校、国民英学会、東京簿記専修学館で学習し、21歳の時に慶応義塾の文科に入学。ここで、自主独立の精神、帳合之法、英語、珠算、近代の学問を吸収、明治31年に松本に帰り、私塾の開設に私財を投じてとりかかるが、財政に困窮。 今井は、片倉製糸の三代社長であるが、若くしてアメリカに留学、紳士道と学問(近代科学)を重視した。木澤の自主独立の精神を基本にして、紳士養成をも建学の精神にしている。そこで、次のような教育の根本を定めた。
○自主独立の精神を養うこと
○真実と勇気をもって生きる態度を養うこと
○明朗な心と強健な身体を養うこと
○勤労を尊び豊かな適応力を養うこと
○職業を通じ社会に貢献する心構えを養うこと
今井と米沢のコンビで、学園の基礎がようやく固まり、今日に至っている。