木澤は、16歳で単身上京し、漢学塾、東京物理学校、国民英学会、東京簿記専修学館で学習し、21歳の時に慶応義塾の文科に入学。ここで、自主独立の精神、帳合之法、英語、珠算、近代の学問を吸収、明治31年に松本に帰り、私塾の開設に私財を投じてとりかかるが、財政に困窮。 今井は、片倉製糸の三代社長であるが、若くしてアメリカに留学、紳士道と学問(近代科学)を重視した。木澤の自主独立の精神を基本にして、紳士養成をも建学の精神にしている。そこで、次のような教育の根本を定めた。 ○自主独立の精神を養うこと ○真実と勇気をもって生きる態度を養うこと ○明朗な心と強健な身体を養うこと ○勤労を尊び豊かな適応力を養うこと ○職業を通じ社会に貢献する心構えを養うこと 今井と米沢のコンビで、学園の基礎がようやく固まり、今日に至っている。 |