1.民舞との出逢い

 私が民舞の持つ何ものかに心を揺り動かさ
れたのは、大学時代の時でした。北海道のたんちゃめソーラン節、沖縄の谷茶前を歌い踊っていくうちに、体の中の凍りついていたものが溶け始め、体の中が熱くなり、自然に体が動くような感じを覚えました。
 大学の裏山で、木を切り出し、削って作ったバチを使ってたたいた雨乞太鼓。単純なリズムであるのに、どんどん魅かれていく。打っても打っても、はね返されてしまう白ましん分。太鼓の真心を打ち込んだときだけよい響きとなってこだまする。どまん中へと打ち込んでいくことは、弱い自分をたたきつけていくようでもあり、自分の魂を打ちこんでいくようでもあり、時が経つのも忘れてしまう、そんな体験をしました。

2.初めて民舞を子どもたちに
  −はねこ踊り一


 教師3年目に、子どもたちの内にあるものをもっと引き出すにはどうしたらよいかと悩んだとき、民舞をやってみようと思いました。
 学年会で民舞に取り組んでいくことに決定したのが7月。夏休みに体育同志会や田楽座の民舞講習会に参加し、2年生の子どもたちに合ったものとして、宮城県に伝わるはねこ踊りに決定。子どもにやる気を起こさせるためには、初めの出逢いが肝心と、学年の先生と汗だくの練習を繰り返し子どもたちにぶつける。踊りを3つに分け、簡単なリズムから入れる工夫をする。脱力させてから、リズム打ちへと入ると短時間で覚え、踊りも覚え易いようだ。踊りは腰を割り体重を感じながら重心を移動する股割りの練習が基本となった。「何故、腰を入れるの。」「この踊りは何をしているところかな。」「稲刈りだよ。」「ぼくは草を刈っていると思うよ。」「ぼくは稲刈りのお手伝いをしたとき、腰に力を入れて、足をふんばってやったよ。」農作業の動きが、踊りの基本をつくっているはねこ踊りの背景学習にふれながら踊りこんでいった。毎日踊った後に感想を書かせ、ひと言励まして返した。そのカードを教室の壁に掲示し、友達の様子や気持ちがお互いに分かるようにした。
 太鼓を捜すうちに、自分の夢を仕事につなげている波田の上原太鼓工房さんに出逢い、快く太鼓を借りることができた。神林地区の青年団の太鼓連の活動も知ることができた。太鼓をやりたい子どもたちが生伴奏をするために朝練習も始めた。このはねこ踊りの採り物は、画用紙を折った扇2枚なので容易に準備ができた。練習を重ねていくと扇がぼろぼろになり、何度か作りかえた。

 〈子ビもたちの感想から〉

・はじめて踊ったとき
「むずかしい。おもしろいけど疲れた。汗がだらだら出た。」「疲れて汗をかいたけど、何となく気持ち がいい。」「疲れた。あつくてたまらない。汗がだら だら出た。」「お百姓さんが 赤ちゃんを殺すなんてい うのは、すごくかわいそう。そんなことが あったなんて。こけしの意味が初めてわ かった。「まびきのこと 知らなかった。」「汗をかくからもう、こりごりです。」「先生の顔を見たら汗がすごかった。みん な水をいっぱい飲んだ。」

・運動会前日の練習の後
「前はじょうずじゃなかったけど、練習を してきてじょうずになった。ずっと踊ってきて、わたしよりじょうずな人を見ると、 もっと練習しなきゃって思う。もっともっ と踊りたい。」「あしたは、大きくおどりたい。今までは、 前から目ひょうにしてきたことができたか ら、こんどは、今まで目ひょうにしていた ことをぜんぶ目ひょうにしておどりたい。 わたしは、体いくがきらいだったけど、う んと楽しくなったなあと思いました。わた しの今の目ひょうは、大きくおどること、 それだけ。」「れんしゅうしてきて、うまくなった。あ すは、うれしく、気もちよくおどりたい。」「わたしは、今までれんしゅうしてきて、 家に帰って足がいたくて、つぎの日もつづ けていたら、だんだん慣れて、あそびのよ うになってきて、体力がついてきたなあ と、すごくうまくなったなあと自分でも思 います。あすは、きれいな気持ちになっ て、がんばっておどろう。」

・運動会が終わって
「始める前は、きんちょうしました。おど り出すと、きんちょうは、しなくなりまし た。ぼくは、力いっはいやりました。とっ ても楽しかった。うれしかった。もっとや りたかった。力いっぱい元気にやりまし た。もっとやりたかった。もう1回やりた かった。」
 このように、はねこ踊りに取り組んでみて、初めは「むずかしい。」「つかれて、もうこりごり。」と言っていた子どもたちが、いつの間にか夢中になり、「もっともっと踊りたい。」と変わっていきました。運動会が終わってからも、機会がある度に、踊っていきました。

3.室内体操から全校運動へ

 神林地区公民館文化祭で踊ってほしいと声をかけていただき、地区の子どもたちが地区で発表したり、祖父母参観日の発表として踊る機会をいただいたりして、常に踊り続けることができた時のことです。
 はねこ踊りを初めて実施した冬の室内体操に、全校ではねこ踊りをやってみようと体育主任の川上先生から声をかけていただきました。民舞の良さをひとりでも多くの子どもに体験してほしいという思いで、やってみることに決めました。
 室内放送(テレビ)に合わせて、各教室で踊るので、ビデオ作りの苦労や、各教室での様子がわからない等、いろいろ悩みもありました。でも、継続したことにより、2年生以外の子どもたちの体の中にもはねこ踊りのリズムが根づいていきました。5年生が美が原キャンプのキャンプフアイヤーで踊ったと聞いたときは、低学年でなくても楽しめることがわかりました。
 翌年の全校運動では、室内体操の延長として、全校で校庭で踊りました。はねこ踊りの中に「思いっきり体を動かせる動き」がいくつかあり、行事の発表としてではなく、民舞を通して体力作りもできるということが感じられてきました。

 〈全校運動後の感想から〉
「なんで3年生の踊りをやらなければいけ ないんだと最初は思っていた。しかし、だ んだんできるようになってきたら、おもし ろくなってきた。そして、どんどんできる ようになりたいと思う。太鼓もやってみた い。やって
いるとおもしろくなって、何回やってもあきない。おもしろいからには何 回でもやりたい。そして、完全におどれる ようにして、とてもおもしろくおどってみ たい。こうや君がとてもうまくおどってい るので感心してしまう。」                  (6年生男子)
「私は、はねこおどりをおどってみて、とっ てもむずかしいことに気づいた。一番むず かしかったのは、Aのおどりだった。何回 やってもうまくいかなかった。家で妹と遊 びながら、練習した。学校でやった時、す ごく汗をかいた。ふいてもふいても後か ら、汗がどんどん出るから、そのままにし ておいて、はねこが終わると、汗と熱の中 でおどっていたなんて思えないくらい、す ずしい風がふいてきた。とってもすずし かった。今日まででこんなにつかれたこ とって、美ヶ原キャンプくらいだった。汗 をかくっていいな。」                (5年生女子)
「1年生もおおぎを作ってきてくれまし た。1年生もとてもじょうずになってきま した。2年生もじょうずになってきまし た。まだじょうずにおどれない人もいるけ れど、ほとんどの人がじょうずになってき ました。みんなすごいな。おわった後は、 ハアハアいっている人がたくさんいまし た。早くみんながおぼえて、全校ではねこ 踊りをじょうずにおどりたいです。それか ら、みんなのお母さんにも覚えてもらいた いな。」 
               (3年生女子)

4.教材化と道具を作り上げていくこと
  −みかぐら一


 はねこ踊りを初めて取り上げた時は、何度か学年会で話し合い、ようやく取り組めることになったが、その子どもたちが3年生になったときは、みかぐらに取り組むことに全員の先生が応援し、協力してくれた。「今年も民舞、頼むよ。また、奴らの血が騒ぐようなのをやってくれや。」「体を動かしたくてたまらない奴らが、太鼓を鳴らしたとたん、エネルギーのかたまりとなるんだな。民舞はまさに奴らの心を揺り動かすんだよ。それが見ている人の心を感動させるんだよな。バックアップするで。」学年の先生たちがこう言っしゃくしょうて、扇作り、錫杖作りをしてくださいました。これには、大変時間がかかり、反省させられました。しかし、生活をきりつめても、祭りに向かって、踊りの衣装を整えたり、採り物を作ったりして、気分を高揚させ、それによって踊りにも熱が入っていった昔の人たちの心を学ぶことができたように思います。
 また、みかぐらの動きはやや難しく、3年生の子どもたちにとっては、もっと教材化を工夫して、踊り切ることができるようにしていきたいという課題も残りました。
 問題の残るみかぐらではありましたが、2年つづけて民舞に取り組んだ子どもたちが4年生になった時、「民舞クラブ」を創りたいと16人を集め、新しいクラブができたことは、一つの成果でした。

 〈子どもの感想から〉
「さいしょは、みかぐらなんて大きらいで した。はげしくてややこしくて。でも、も う習ってきて、『ああ、ここは、こうやれ ば。』というふうにわかってきて、体が自 然に動く感じで、今では、とても好きで す。わたしは今、何度も何度もやれば、何 だってできるというようなことがだんだん わかってきました。」

5.1年生と民舞 一荒馬を通して−

1年生の担任をするようになり、青森県に伝わる荒馬を子どもたちに教えた。運動会では、1年生全員で、親、先生、子どもと共に作ってきた馬をつけて、元気いっぱい校庭を駆け回った。
 休み時間になると、教室に置いてある太鼓のバチの奪い合いになった。遊びの合間に太鼓をたたいては安心して戻っていく子ども。自閉症で養護学級で学習している子も、他人とは視線を合わすことすらできない子が、太鼓の音を聞くと立ち上がり、バチを取りにくる。トントントンと同じ調子でたたいてはにこにこしている。友だちと会話のほとんどできない女の子もみんなが帰った後、教室へ戻ってきて、ひとりで太鼓をたたいてから帰って行く。このように、1年生の子どもたちにとって、太鼓というものは、大切な友達となっていることを驚かされました。荒馬の道具作りも苦労しましたが、遅くまで残って作って下さった学年の先生たちも、馬を身につけてカー杯走り回る子どもの姿を見て、苦労が消える思いの様でした。

6.全校種目として踊ったはねこ踊り

 菅野小学枚で民舞を実践してから3年め、学枚の創立20周年記念ということで、運動会でも全校ダンスをやろうということになった。皆が踊れるはねこ踊りにしようと決まった。
 全校種目として踊ることにより、多くの先生が太鼓をたたいたり、踊りを踊ったりしてくれた。教師みんなではねこに取り組めたことが何よりも嬉しかった。6年生の女子から、「先生、どうせなら、お母さんたちもいっしょに踊れたらいいね。」と言われたこともあり、何とかならないだろうかと考えていた時、4年生の母親から電話をいただいた。「ぜひ、お母さんたちにも講習会をしてほしい。」と。
 教頭先生の計らいで4年生にとどまらず全校のお母さんに呼びかけて、講習会ができた。夜の体育館に100人余りのお母さんが集まって下さり、気持ちの良い汗を流すことができた。運動会当日に輪の中にもたくさん入って下さった。
 運動会後、子どもたちからは、「お母さんと踊れて嬉しかった。」「家で練習したのに入ってくれなくて、なんでお母さん、入らなかったの。」「もっと歩いて動きながら、ずっと自由に踊りたかった。」等の感想が寄せられた。

7.民舞実践を通して

 運動会の発表に取り組んだ民舞が、一度にとどまらず続けてこられたのは、やはり民舞の持つ何かが子どもたちの心を揺さぶり内側から変えていくという魅力が民舞にはあるからではないでしょうか。古くから踊り伝えられた民舞が、忘れられ消えそうになっていたものが、新しい子どもたちの手によって再発見され、さらに新しい形を取り入れられながら匙えっていったらと思っています。
 内から変わる子をめざして
           一民舞実践を通して−


                 平成元年度         菅野小学校   宮 原 貴 子