南岳小屋・管理人の日本最高所のオンライン日記


故篠原秋彦追悼日記


日付 今日の出来事
2002/1/6(日) 今日、東邦航空の篠原秋彦さんが亡くなりました。
大町市の鹿島槍ヶ岳での遭難救助作業中の出来事だそうです。

篠原さん(通称:篠さん)は日本におけるヘリコプターによる
山岳遭難救助の自他ともに認める第一人者であり、一昨年には
自らトーホーエアレスキューという会社を設立して自らの人生 をヘリによる遭難救助に捧げた人です。
山好きなかたならTVのドキュメンタリーや各種雑誌、また「空
飛ぶ山岳救助隊」(山と渓谷社)などでご存知の方も多いかも
しれません。
昨秋には長野県の地方紙・信濃毎日新聞社からその功績を称え
「信毎選賞」を贈られ、まだ高校生や中学生の子供や家族と共
に松本市内のホテルで祝賀パーティーが開かれた矢先のことです。

私自身も先月14日の遭対協の忘年会の席で「おう、坂本君。
南岳は最近評判いいじゃないか、客も増えてるらしいし」と誉
めていただいたばかりのことでした。
上高地周辺の山小屋は物資空輸を東邦航空と契約しておりなに
かと関わりも深く、こんな私でも篠さんとの関わりは9年間に
及び、いろいろなことがあったのです。
一番の思い出は一昨年の夏に南岳からモッコ(ヘリでの物流に
使う頑丈に編まれた網)を上高地のヘリポートに下ろす時に、
その梱包処理が甘かったためモッコが空中でほどけてしまい、
それがヘリのローター(操舵用プロペラ)に絡まりかけ、あわ
やヘリ墜落という大失態を犯してしまったときにこの篠さんに
電話で30分ほどこっぴどく怒られた時のことです。
これはヘタをすれば上高地周辺の全ての山小屋あるいは上高地
全体への問題に発展する恐れもあるほどの大問題で、「これは
なんとかして謝罪とその誠意を見せなければ自分のケジメもつ
かないし、今後の対応にも影響がある」と夏の忙しい時期にも
関わらず残りのアルバイトにその日の仕事は任せて南岳から上
高地まで直接謝罪しに行きました。
昼の12時に電話で怒られていた私が12時半には小屋を飛び
出して、3時間後には上高地について直接「申し訳ありません
でした」と謝る私に篠さんが「どうやって来た?」「走ってき
ました」といったらこの件は笑ってスッキリと許してくれまし
た。
ま、この人はこういう誠意とか信頼とかを第一に考える人と知
っていたので、これだけ見せれば許してくれるだろうという計
算もあったのですが・・・。
おかげさんで、この件がヘリポートの外に出ることがなかった
のは篠さんのおかげだと思ってます。

また、南岳小屋の経営が我々に変って初めて東邦に物輸をお願
いするようになった年に(前年までは俺は槍沢ロッヂにいたの
で私自身は東邦航空と関わりはあった)我々の事務処理のミス
で米の発注が遅れ、小屋の米が底をついた時に「とにかく米屋
が持ってきたら一番に上げてください」と頼んだら篠さんにな
にかと怒られたもののキチンとその日の夕食時までに間に合わ
せてくれたのも助けられた思い出だし、
98年の上高地群発地震で大崩落した南岳新道を新たに付け替
えるための作業員を乗せたヘリが、稜線付近のガスと強風でい
つまでも飛べずに困っていた時に「絶対にヘリなんか飛べる状
況じゃない」と言ってるにも関わらず、時間がないからと本谷
側の断崖を這い上がるように飛んできて視界20mのガスの中
から姿は見えないのに音だけ近づいてくるヘリには全身鳥肌の
感動を覚えたこともあります。
さらには2月の八方池付近で行われた雪山でのヘリによる遭難
救助訓練の時にもまだ経験が浅かった私は、ヘリから吊り下げ
られたワイヤーのフックと自分のハーネスとを結ぶカラビナの
結束が甘かった(1重にしか確保の方法を取ってなかった)の
を「バカヤロー!俺達は命かけてやってんだ。命守るためには
2重にも3重にも自分の安全を確保しろ!」と怒鳴られたのも
いまだに私の耳に残ってる言葉です。

ああ、篠さんとの思い出を書いてたら長くなってしましました。
でも私にとって出来る篠さんへの供養はこうして自分の言葉と
してまとめること。
そしてこのHPを見ていただいている方に少しでも冥福を祈って
もらうことだと思います。

篠さんありがとうございました。
もう二度とヘリによる二重遭難が発生することの無いように関
係者に天から手を差し伸べてやってください。
2002/1/9(水) 昨夜は前述の篠原さんのお通夜に参列してきました。
告別式は今日なんですが、時間的に厳しいものがあったので昨
日の内にお参りしてまいりました。

お通夜は夕方5時からだったのですが、私は白馬での仕事を片
付けてから篠さんの自宅(穂高町)へかけつけたのでもう式は
終わっており、親しい山仲間が「さあ帰るか!」と言うところ
でした。
ある人との話によれば事故の原因は報道の通り、セルフビレイ
(自己確保)を取ってなかったのでは…、ということですが結
局のところは真相は謎のままです。
果たしてビレイを取ってなかったのか、取らなかったのか、取
れなかったのか、取ったつもりが取れてなかったのか…
自己の安全のために我々が感心するばかりの細心の注意を払い
続けた篠さんともあろう人がビレイを取らなかったということ
はありえないし、カラビナが凍結する等の物理的な理由によっ
て取れなかったとするならばそれはそれで自分は現場に残って
でも先に遭難者を救出したうえで回収を待つはずであるし、だ
とすると取ったつもりが取れてなかったということなのか?
いずれにしても篠さんの顔を見て思ったのは、「ああ、これが
運命だったんだなあ」ということでした。
山にいると「なんで!?」っていうような理由で事故に遭い亡
くなるかたを大勢見ます。
私はその時、「あぁ、この人はこの日この時間に自分の人生の
幕を下ろす運命にあったんだなあ」と思うのです。
でなければ理由のつけようがないような事故がたくさんあるん
です。
そう考えると篠さんも自宅からすぐ近くに望める鹿島槍で、自
分の人生をかけた事業の最中に亡くなったのであれば本望だっ
たんだよなと思った。
少し時間に遅れたのが幸いしてかご家族(奥さんと息子〜これ
が中学生なのにしっかりしてる)とお話しができて、その時奥
さんも同じようなことを言ってました。

さて、ここからが本題です。
昨今は山岳遭難救助といえばヘリ利用が当り前と思われていま
す。
そのことは数字でも実証されており、長野県だけで昨年一年間
に140件ものヘリ出動がありました。
このようにヘリ救助が主流となったのはひとえにヘリによる遭
難救助が始まってからこの30年間、それが無事故で行われて
きたからです。
実際には航空法に抵触するような状況下で、警察や消防が恐れ
をなして尻込みするような救助の現場をも東邦航空の熟練した
パイロットと優秀な性能をもつヘリそれに篠さんを始めとする
救助員が成功を納めてきたことを国交省(旧運輸省)も特例と
して認めてきたのです。
ところが今度の事故を受けて国交省側の締め付けも厳しくなる
ことでしょうし、なによりも救助員の士気にも影響を与えるこ
とでしょう。
実際の救助現場というのは死を伴う危険と紙一重の状況の中で
の作業です。
少なくとも警察や消防といった行政サイドの救助員にとっては
二重遭難というものは絶対に絶対にあってはならないものであ
る以上(もちろん民間だからいいと言うわけではない)、ヘリ
出動基準というようなもののバーが確実に下げられることでし
ょう。
かたや民間(この場合は東邦航空)の救助員にしてもこのよう
な事故を受けて、国交省からの締め付けがなくとも自ずからそ
の行動に制約がかかってくるはずです、それは会社側の方針で
あり現場の人間の心理的なものとしても。

私だってそうです。
一昨年の滑落事故まではどんな急斜面の雪面でも平気でグリセ
ードで下降していたのに、その翌年からは平気なつもりであっ
ても雪の斜面が恐く感じてより安全なルートをとるようになり
ましたから。

そうなるとどうでしょう?
今までなら「ヘリを頼んだからもう大丈夫だ」と言っていた状
況でも地形・天候によってはもうヘリは来ないかもしれません。
そうすると今までなら通報してからわずか一時間で病院に運び
込まれていたケースでも、人力による救助に頼らざるを得ない
ようになるかもしれません。
急斜面をザイルで吊り上げられたり、下げられたり、手足や肋
骨を骨折しているのに人に背負われて苦痛に顔をゆがめながら
何時間も搬送される。
少なくともこれまでよりはそういうケースが増えるはずです。
だから言いたい。
これまで以上により一層の注意を払って山に登ってください。
なんかあっても「保険に入ってるから」、「ヘリを頼めばそれ
でいいや」なんて心構えでの登山は絶対に禁物です。
山というのは全ての行動が自己責任のもとでの行動が基本です。
散々、日記でも書いてたことですが改めてお願いします。


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