昭和10年頃
明治生まれの(故)重人、(故)やよゐ
大正15年生まれ(故)定一
昭和3年生まれ(故)今人

昭和35年元旦
祖父・祖母、父(定一)、母(もと子)
姉(美須々)、私(啓子)
ちょっと昔話
私が小さい頃の記憶

私がまだ幼い頃、家には牛を飼っていました。
私のおじいちゃんが手綱を持ち、牛車に乗っかって畑に行ったことを微かに覚えてます。
おばあちゃんは私たち子どもの世話や家事をしたりお店の留守番をして
いつもそばにいてくれました。

父は農協に勤めていて休みの日はお店や農作業をしたり
母は祖父と一緒に農作業をしたりお店の配達をしたり家事や子育てと休む暇がないほど
忙しく お嫁に来たころは大変だったと言っていました。

今の生活からは想像も出来ませんが昔はお店をしながら田んぼに、果樹に、いろいろやっていて
便利な電化製品も充実していないのに
昔の人はスーパーマン???どうやって過ごしてきたのか不思議に思います。
それでも昔は親戚や近所の人が手伝いに来てくれたり、また両親も手伝いに行ったりと
他人との絆があって助け合って暮らせていたんだなと思います。



我家の生活

家のお店では色んな物(お酒、酢、味噌等)を量り売りをしていました。
お酒は酒樽から栓を抜いてこぼさないように枡に移して、
お客さまの持ってきた瓶に漏斗を当てて量ったお酒を慎重に流し込む。
子供ながらによくお手伝いしたものでした。
イヤイヤでしたがおばあちゃんに頼まれてお酒の配達もしました。
小学校の決まりで乗ってはいけない道路を大人の自転車に乗って配達に行き、
しっかり同級生に目撃され次の日の学級会で怒られた苦い思い出もあります。

それから…家には犬も猫も鶏も飼っていて池には金魚もいて…賑やかでした。
学校から帰って来て鶏が首筋を切られて逆さまに釣る下げられていた日は「かわいそう」って
思う前に「今夜はおご馳走だぁ。」と、子供心に喜んだものです。
今思えば料理してくれたおばあちゃんと母はすごかったなぁ。。。

スクーターで勇ましく配達をする母、農作業も、家事もなんでもできちゃうすごい母。
厳しくて子供心に怖い存在だったけれどそんな母のうしろ姿を見て育ちました。
父は穏やかで優しくて、真面目な人だったかなぁ。。。

犬や猫ともよく遊びました。私にとっては大事な存在で大人たちが忙しいから随分慰めて
もらった気がします。
唯一鶏とは仲良くできませんでした。産みたての卵を手にするのはちょっと感動でしたが
小屋の中へ取りに行くのがとても怖くて嫌いでした。
親に内緒で池の金魚で魚釣りをしたり、遊んでいて足中蜂に刺されて大泣きした事もあり、
どんくさいマヌケないたずらっ子だったような気がします。

小学校3年生の時、初めてカラーテレビが家にやってきて色がついているテレビにワクワクした
こと。洗濯機、掃除機、冷蔵庫、車といった便利な生活用品もどんどん充実してきて
目まぐるしく生活が変わってきました。
昔、家の周辺には、

銭湯もあったし、ふとん屋さん、いります食堂もあったし、養老と言うお菓子屋さんもあったし、
食料品のお店、お米屋さん、呉服屋さん、床屋さん、パーマ屋さん、雑貨屋さん、
王将という飲み屋もあったし……
一時でしたが家の前にパチンコ屋さんがあった事もあった。
昔はちょっとした商店街でした。

家名を聞けば油屋とか酒屋とか下駄屋とか桶屋とか・・・いろんな家名を持つ家があって
今住んでる家も昔は「はるもと」とか言う食堂?旅館?だったとか!?
私の知らないもっと昔にはいろんな商売をしている家があったんだなぁってびっくりです。
今思えば祖父母、両親からもっといろんな事を聞いておけば良かったと後悔します。

うちの家族

私のおじいちゃん(重人さん)は氷室で生まれ育ち、おばあちゃん(やよゐさん)は岡田松岡で
生まれ育ちました。
結婚を機に今井に来て二人で酒屋をはじめました。いろいろ苦労があったようですが
隣近所、親戚の助けもあり戦時中もなんとか暮らせたようです。
そんな二人から生まれた父は今井で育ち、洗馬の太田で生まれ育った母と結婚しました。
そして姉と私が生まれ、
姉は広丘に嫁ぎ、
私は生坂で生まれ育った主人と一緒になりました。
三人の子供に恵まれ 皆それぞれ成人し、家庭を持ち頑張っています。
私の父は87歳で平成25年6月20日亡くなりました。
母は86歳で平成29年6月28日に亡くなりました。
両親の事は未だに想い出されては切なく寂しい気持ちでいっぱいです。
もっとああすれば良かったとか、こうすれば良かったとかいろんな思いが巡って
後悔ばかりです。

めまぐるしく変わる社会情勢に田舎の小売店は立ち行かなくなり
私も年を重ねるごとにヤル気も体力も欠けてきて
お店を続けることが難しくなってきました。
何事も「三代まで」と言う言葉があるように私の代で終わりそうです。

近年は自然災害が頻繁に起こり、
新型コロナウイルスでは世の中の当たり前だった事がガラッと変わってしまいました。
またロシアとウクライナの戦争も終わりが見えず
いろんな所に波紋が広がり、世界中が苦しくなってしまい
これからどうなって行くのだろう…

なるようにしかならないのだけれど
子ども達が夢や希望を持てる世の中になって欲しいです。