風舞 十世                   2011.05 児野 とよ (28回卒) [ちごの・とよ]

5月の連休に、震災で亡くなられた方々と、被災した方々に少しでもお役に立てればと、福島県での演奏会に舞いで参加させていただきました。

震災直後から、このできごとに対する自分の無力さを悲しく思い、毎日亡くなられた方々のご冥福と原発の被害が大きくならないことを祈りながら、私のできることをさせてくださいとずっと願っていたので、この話をいただいた時には、緊張を感じながらも、このはからいに深く感謝しました。

私は、亡くなった方達はとても美しい魂を持つ人たちで、今、彼らからたくさんの光が降り注がれていることを確信しています。そのことを舞いたいと思いました。
それはその方々への感謝をあらわすこと、そして、その光を避難所にいる方々に届けること、それが皆さんに伝わって、生き残った被災者の方達の希望に繋がって欲しいと思いました。

舞う曲は、小馬崎達也作曲「月の組曲」と「ガイアの祈り」いろいろなところで(ヨーロッパの国々、アッシジの聖フランチェスコ大聖堂やカルタゴの教会など)、鎮魂と平和の祈りとして舞ってきた曲です。

5/2 奥会津の三島町にある西隆寺というお寺での音楽法要。
被災者の方々の避難所にもなっていたお寺です。
ご住職さんの読経の後、音楽のグループ「パンゲア」の演奏と舞、集まってくださった町の方々もひとつになって、お亡くなりになったり行方不明になられている2万数千人の方々の、密やかなご供養となりました。尊い時間をいただきました。

5/3 いよいよ被災地の現場、いわきの四倉にある高校の体育館の避難所での昼と夜の演奏会。避難所に一日中いる人たち、日中の外での仕事を終えて夜帰って来る人たち、あわせて100名近くが生活をしている体育館です。
三島町から車で移動。
西隆寺から同行してくれた遠藤由美子さんに、福島で起きていることの生のお話を聞きながら、道中は被災した様子をそれほど目の当たりに見ることもなく、 現場に到着。
最初に体育館に入った時には、そこの空気にショックを受け、正直どうしようかと思いました。(私にとってそれは、あとで海岸に行って瓦礫の山を見た時より強烈な印象でした。)
「どうしよう」と思っている自分に動揺し、私の楽屋となった車の中でなんとか舞に集中しようとしました。
なぜ、ショックを受けたのか今でも考えます。私たちは、恵まれているよそ者でしかなく、ただの自己満足のためのやってきた偽善者のように思われるかもしれないという私の恐れが、そこにいる人たちとの距離を作ったのかもしれません。
でもしばらくして、演奏会が始まる前に様子を見に会場に入った時には、優しい笑顔が見えるようになり、子供達の純粋な好奇心に救われ、演奏会が始まって一曲演奏が終って、私が舞う時にはすっかりその場の空気が変わっていた気がします。私自身も、そこで舞う準備ができていました。
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舞っている時には、涙が止まらなかった、でも微笑みを伝えたかった、、、
地球の我が身を傷つけてまでの大きな愛と慈しみや、人間に対する深い信頼必ず命にあふれる豊かな大地は戻って来る、悲しみを越えた深い愛、舞いながら、涙と共に溢れ来るいろいろな想いがありました。
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涙を流しながら、聴いていた男性が何人かいたそうです。
表情がうつろだった人が、終わる頃には笑顔をみせてくれたそうです。
私に、「一生忘れない。」と小声で言ってくれた人がいました。
「なんでそこまで真剣にやるの?」と、聞いた人。

昼の部が終った後に、海岸に車で行ってみました。テレビの映像で見ていた津波被害の瓦礫の山が目の前に広がっています。
そして、その先には津波がやってきた海。みんなで海にむかって手をあわせました。
それは、現実であるとは思えない(思いたくない)光景でした。
逆に現実味を欠いて、しーんと吸い込まれるような、違う空間に入りこんでしまったような世界でした。

夜の部が終って帰る時には、やっていた食堂が流されてしまい、避難所で生活しながら屋台を出して営業している素敵なご夫婦に見送っていただきました。

三島町のお寺に帰り着いたのは、夜中の1時半でした。奥会津の空気が、「お帰り」と優しく迎えてくれました。

時間が止まってしまった人たちが、まだたくさんいます。
私の舞が、少しでもお役にたてるなら、どこにでも行って舞わせていただきたいと願っています。

「大切なものは、内に秘めていてもちゃんと伝わっていくそうです。」と友人がメールをくれました。私の舞を通して、宇宙が伝えたかったことを伝えることができれば幸いです。

どんなに悲しく辛い状況でも、笑顔で、思いやりを持って接してくれた人たちに救われた旅でした。

この演奏会のために精神的に経済的にサポートして下さった方々、演奏の場を作って暖かく迎えてくださった西隆寺のみなさん、そしていわきで合流してくれ た友人達に、深く心から感謝いたします。

【児野 とよ(28回卒)】
(補足 児野さんのホームページhttp://www.mt8.ne.jp/~pangaea/toyo.htmより)

十世(風舞) Toyo(Kazemai)
モダンダンス(Erick Hawkins Technique )、舞踏、Spirit Motion、野口体操、コンタクトインプロビゼーション、THE WAVE、 民族舞踊、地唄舞等を学ぶ。 '89年より、"風舞"と名付けて創作、公演活動を開始。国内はもとより '96 からは、ヨーロッパ各国、オーストラリア等で公演を行う。また、祈りの舞の奉納も多く行なっている。

(追加 2011/5/26)

この演奏会を実現させてくれた西隆寺の遠藤由美子さんからのメールを、ご本人に了解を得て添えさせていただきます。4/11小馬崎さん宛のメールです。

小馬崎様

3.11は、未知なる価値への大転換がなされた日でした。
これは夢なのではないか。昨日までのあの世界はどこに行ってしまったのか。

被災地近くに住みながら災害を免れた私たちの使命が、即座にわかりました。

今何をすべきか、今できる最大のことは、いつものように、寺に、被災した方々をお迎えすることしかありませんでした。各地に救援物資を運び入れるだけです。

体を動かしているときは必死ですが、震災後の原発事故の周囲の状況下、時折、動きを止めた途端、唐突に奈落が見えるのでした。亡くなられ、泥土に浸かっ たままの数知れない方々は、何を求めておられるのか。この暗闇から、どこに向かってシフトするのかと、呆然と、不気味な暗がりに立ち尽くすようでした。

東北の地に、とりわけ原発立地県に住む私たちは、今までとは全く異なる価値を受け入れ、創造する覚悟を新たにしなければなりません。これはおそらく、日本全体の仕組みの転換と関わる、基礎になるもののはずです。

地震、津波、原発事故、風評、地域崩壊という五重苦を背負って、福島県の復興は最も遅れるでしょう。

今までの暮らしを取り戻すことが復興ではなく、今までの仕組みや価値とは全く異なる新たな未知の創造が成されない限り、この度の災害のつじつまは合いません。

原発は、未来を託すべき相手ではありません。消費生活を取り戻し、いつもの日常に戻ることをこそよしとするのでは、戦後最大級の悲惨な災害のつじつまが合いません。遠からず被害の実態と、消費することで活力を取り戻せるという浮薄な考えが通用しないことを、日本中で実感せざるを得なくなるでしょう。

今、被災地周辺では、その現実を体感し、受け入れ、新たな仕組みを創造する覚悟へのシフトは始まっていると感じます。

突然理不尽に断ち切られた、未来に託された無言の思いを、残された私たちは終生抱きしめていくだろうと思っています。

小馬崎さんの尊いお心は、恐らく、何のアレンジもなく突然もたらされることが最も有難いと思います。

タイミングや場所ではなく、その日行き着いた町や村の片隅や体育館や、もしくは、まだみつからない亡くなられた方々が住む海や・・・

でも、福島県は20キロ県内は立ち入り禁止です。

それ以外の沿岸沿いの町村では、多くの被災者の方々が暮らしています。

原発はいまだ収束の見通しが立っていません。

もしおいでになられる際は、どうかお気をつけていただかなくては。

お心に感謝いたします。

ありがとうございます。

遠藤 由美子