地震後の仙台  2011年3月16日/19日/24日

24回生 渡辺(桐原)美保さん 仙台在住

 

【3月16日】■■■■■■■■■■■■■■■■■■
March 16, 2011 10:08 AM
Subject: 仙台から地震の報告第2報

みなさん、ご心配ありがとうございました。
ようやく津波の海水が引いて被害のようすがわかるようになってきました。
その上、原子力発電所の事故のことが明らかになり、ますます心配が広がってきました。

本当にたいへんな地震でした。
今朝の仙台は大雪で、避難している方々がどれほど寒いか、心細いか。
ようやく助かったのに、この寒さで参ってしまう方々が多いのではないかと更に心配です。

私の自宅のある青葉区では徐々に電気の復旧が進み、自宅はおととい電気が、きのう水と電話が復旧しました。ガスは当分無理です。

勤務先の施設の方はきのうの段階で電気は復旧したのですが、水が出ないので、
職員が交代で車を出して毎日大量に水をもらいに行っています。
きのうはとうとうトイレ用に川の水を汲みに行きました。
職員が交代で毎日宿直をしています。
私は今夜宿直の予定なので、今朝は自宅でゆっくりしていました。

ガスがないのでもちろん全員、お風呂には入れていません。
銭湯や温泉もほとんどありませんので、お湯をわかして洗面器で髪を洗ったり、からだを拭いたりという状態です。

地震から数日、電話はほとんどつながらず、施設の利用者さんたちは近くのコンビニの公衆電話に並んで実家や兄妹に連絡をしたのですが、県内の沿岸部にいる方たちとはほとんど連絡がつかない状態で、ようやく連絡がついた人も、身内の誰かが津波で行方不明という連絡にうちひしがれています。

仕事は休止状態で、現在は利用者のみなさんの衣食住に関わることをするのが精一杯というところです。

今、職場に連絡をしましたら、先ほど水が出てみんなで大喜びしていたということでした。
これで水くみがなくなってほっとしました。

私の車もガソリンがあと一目盛りになりまして、きのうからバス通勤になりました。
職場まで12qくらいあるのですが、バスは不定期運行で30分以上待たないと来ません。
町の中のバス停から乗ってきた人は「3台のバスに満員通過されてようやく4台目で乗れた」と言っていました。
帰りは30分待って駅まで着き、自宅に着くバスが行ったばかりだったので、途中まで通るバスに乗り、そこで降りて20分くらい待ってようやく通りかかったタクシーに乗って帰ってきました。

バスの窓から見ると、ほとんどすべての店がシャッターを閉めています。
開店するという店では食料や日用品を求めて十重二十重に行列が出来ていました。
2時間も3時間も並んで待って、ようやく5品くらい買える、という状態のようです。
しかし、生鮮食品はなく、ガスボンベも灯油もありません。
米を買い置きしてなかった若い人たちは本当に困っているようです。

ガソリンは昨日同僚の若い職員が朝6時に並んで、11時過ぎにようやく13リットルだけ給油できたそうです。
緊急車両優先で、どこのガソリンスタンドも休店しています。
休店しているスタンドにも何台もの車が列を作っています。

しかし、沿岸部の避難所ではもっと悲惨です。
施設を退所した利用者からも続々と連絡が入っているのですが、避難所にいる人の話では1日に小さいおにぎり2個だけだったとか、2日間まったく水も食料も何もなく、飢え死にするかと思ったとか、言っていました。
同じ県内でもそういうところに届けに行くこともできません。
電話連絡がつかない地域はもっと悲惨だと思います。

きのう、きょうとテレビカメラがたくさん入っているのでたぶん少しずつ改善してきていると思いますが、そこにこの寒さなので少しでも早く、暖房、毛布、食料、水などが届けられることを祈っています。

昨夜、福島県の会津若松市にいる友人から電話が通じました。
彼女のところでは被害はほとんどなかったのですが、原発の近くの町に従姉妹が住んでいて、事故で避難勧告が出て親戚のある会津に避難してきたそうです。
津波被害の遺体がそのままになっているところをどうすることもできず、バスで300人くらい会津に避難してきたそうで、従姉妹は暖かいものを食べるのは数日ぶりと言って泣いていたそうです。
身を寄せるところがない人たちのために小学校が避難所になったので学校は休みになったそうです。

これから原発の被害が更に心配されるところです。

長くなりました。たくさんのお見舞いの電話やメールをありがとうございます。
1人1人に詳しい返信ができないので、長く書きました。
こういう状態ですが、私や猪狩(篠崎)さんは元気にやっていますので、安心してください。

私の友人でも福島県の南相馬市原町にいる人、南三陸町志津川にいる人には未だ連絡がつきません。
2人ともそれぞれ地元の施設や役場で働いているので心配ですが、待つしかありません。

みなさん、ひどい被災地のために義捐金を送っていただけるように、どうぞ郵便局に足を運んでください。
それらがみな、食料や毛布や水や暖房になります。
お願いいたします。

 

【3月19日】■■■■■■■■■■■■■■■■■■
Sent: Saturday, March 19, 2011 10:42 AM
Subject: 震災後報告第3報

おはようございます。
24会のみなさん、各地から応援、お見舞いメッセージをありがとうございました。
心強いです。さっそく義援金を送って下さったとも聞きました。うれしいです。
遠藤さん、メキシコからまで、ありがとうございました。

地震後、きのうで1週間を迎えました。
おかげさまで身体をこわすこともなく、夜更かしをしない分、かえって震災前より健康的な生活を送っています。
まだ救援が届かず取り残されている人たちがいること、避難所で何万人もの人たちが寒さと飢えに震えていることを思うと本当に申し訳なく思います。
地元のラジオは終日生活情報と人探し、安否確認の情報が続いています。

私の方ですが、地震から1週間目のきのう、初めてまるまる一日、休みが取れました。
食料品が減ってきたので並ぶつもりで夫と仙台の中心部までバスで買物に出ました。
店はどこも朝10時くらいから開いて品物が終わり次第終了なので2時か3時終了になり、仕事をしていると買物ができないからです。
開店する店は少なく、テレビやラジオ、新聞で確認してから出ます。
(まだコンビニなどはやっていません。)
ガソリンスタンド、灯油はまったくありません。

バスは不定期運行で、バス停でなんと55分も待ちました。
町の中はいくつか開店していましたが、やはりどこも行列です。
災害時なのに人が集まるとやはり活気があって、あまり悲壮感は感じられません。

最初に駅前の朝市に行ったのですが、肉はなく、野菜はあまりにも並んでいたのであきらめ、冷凍魚をいくつかと筋子、乾物類、りんごを買いました。
その後、バスで大学病院近くに移動し、スーパーに45分くらい並んで、運良く届いたばかりの卵と牛乳とこんにゃくを買うことができました。
昼過ぎだったので、肉、魚、野菜、豆腐などはほとんどなく、棚は空っぽに近いのです。
帰りに小さい米屋さんでお米5キロを買えたのがラッキーでした。
これで2週間はだいじょうぶです。(キャベツと白菜、ジャガイモなどを買ってあったので)

その後、息子の安アパートがプロパンガスなので、そこで1週間ぶりにシャワーを浴びました。
あ〜生き返った!
プロパンもいつまで補充があるかわからないので、頻繁には行けません。

みなさんに協力をお願いした義援金ですが、私もようやく銀行に行ってきました。
被災地各地どこもたいへんなのですが、やはり地元宮城の避難所の窮状を知っているので宮城県限定の寄付をお願いしました。
七十七銀行県庁支店(普通)5515581 宮城県災害対策本部

重ねてのお願いで申し訳ないのですが、もしできるようでしたらまたお願いします。

先日のメールで心配していた南相馬市の友人ですが、今朝ようやく連絡がつき、安心しました。
津波の方は無事でしたが、原発事故の影響で福島市に高齢のおかあさんと避難しているそうです。
こちらの避難はいったいいつまで続くのでしょうか。。。

東松島市の若い友人とおととい夜、ようやく連絡がつきました。
津波で、購入したばかりの家と車2台、流されてしまったものの、夫と子ども2人とも助かったそうです。
赤ちゃんを抱いて帰宅したばかりの小学生の息子の手を引いて必死に逃げて高台の中学に避難したけれど、2階まで津波の水が来て、3階まで駆け上がって偶然探しに来た夫と会えたそうです。
中学校の3階に400人くらい取り残されて2晩、助けを待ち、同じ教室内にいたおばあさんが持ってきたざらめ1袋をみんなで少しずつなめて飢えをしのいだそうです。
下の子がまだ1歳半で卒乳してなかったので、まっ暗い中で彼女の母乳を他の赤ちゃんたち何人もに飲ませたそうで、その中にはお母さんがいなくて赤ちゃんだけだった子もいた、と言って泣いていました。
2晩経ってもだれも助けに来ず、彼女の夫など若い男性がカーテンなど布を裂いてロープにして命綱にし、屋根づたいに流木などにつかまって助けを求めに行き、舟で助けてもらった、犠牲者の人が浮いていたけれど見ないようにしていた、とずっと泣きながら話していました。

こういう極限状態からの生還者が多く避難所にいます。
なんとか少しでも早く物資などが届きますように。。。
海側からのルートもできてきたと聞いてうれしいです。
買い占めのニュースなどを見ると本当に腹が立ちます。

また長くなりました。午後から宿直のために出かけてきます。
それではまた。

 

【3月24日】■■■■■■■■■■■■■■■■■■
Sent: Thursday, March 24, 2011 1:06 AM
Subject: 仙台から第4報

このたびはご心配をかけ、また数々の励ましのメールをいただいてありがとうございました。
義援金も多数お送りいただき、本当に感謝しております。

仙台では、沿岸部の津波被害の地域以外はようやく少しずつ通常の生活に戻りつつあります。
宮城県全体では気仙沼、石巻などを始めとしてまだまだ災害の爪痕は大きく、
行方不明の人も多数おり、これからの生活再建をどうしていくか、という大きな問題が立ちはだかっています。

私の周辺では、きのうぐらいからようやく開店する店の数が増え、バスの便数が増えてきました。

連休最終日に買物に行ったのですが、牛乳や卵やお豆腐は3店回ってもどこでもありませんでした。
生協の大型店舗では肉類、肉加工品の棚が空っぽで、驚きました。
子どものいるお宅は消費も多いので、不安でしょうね。
それでも、カセットコンロのボンベが1人1本限りということで夫と2本入手できま
したので、これでガスがなくても安心して調理でき、昨日からはおかず付きのお弁当を復活させることができました。
(それまではおにぎりと即席スープが昼食の定番でした。)
店舗はたいてい5時には閉店してしまい、バスも8時半頃までなので、街は本当に静かです。

今一番の問題はガソリン不足で、連日スタンドは長蛇の列です。
朝6時から6時間並んだ、10時間並んでもだめだったという会話が普通になっています。

私は勤め先が福祉関係なので、何かあったらすぐ駆けつけられるようにと緊急車両として10リットル入れてもらい、少し前から車通勤に戻ることができました。
エコドライブに徹してゆっくりと走っています。
緊急用なのでいつでも駆けつけられるようにとノンアルコールの毎日です。
灯油はまだまったく買えません。

休みの日に県内の困っている被災地のために片づけのボランティアに行きたいと思ったのですが、ガソリンがなく、今のところはこんなに近くにいながら身動きできないままでいます。
物資を送って下さるというお話もいただいたのですが、届けるすべがなく、直接お送りいただくように頼むしかありませんでした。

今日から東北自動車道が一般車両も通行可となったそうですので、ガソリンや灯油ももう少しすれば買えるでしょうし、支援物資の流通もよくなることでしょう。
ガスの復旧も一時は5ヶ月6ヶ月と言われていましたが、新潟からの天然ガスパイプが生きていたそうで、早ければ一部は今週中から、遅くても仙台市内は1ヶ月から1ヶ月半で復旧の見込みと昨日聞きました。

仙台駅が2階3階と崩落したので鉄道がまだ回復していません。
脱線車両も住宅地の中でしばらくそのままになっていて驚きました。

余震がけっこうあって、それも原発付近が多いのでそちらもとても心配です。
大きな爆発がなく終息することができるか、日本全体の大きな問題となってきました。

今回、24会のネットワークに大きく助けられました。
臼井さん、保科さん、平林さん、伊藤さん、遠藤さんお二人、高坂さん、服部さん、梨子田さん、村瀬さん、他たくさんの励ましをありがとうございました。
改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。