地震後の茨城県の現況               2011.05.06 杉山敦医師


5月3日と4日は茨城県の水戸に住む家内の両親を訪ねてきました。高齢の義父が少し体調を崩し何年か無沙汰していたので地震の見舞いも兼ねていってきました。義母や近くにいてくれる義弟夫婦と、医療と介護のことそして地震と原子力発電所のことを沢山話し合いました。

1.北関東自動車道が3月震災直前に全線開通しています。東北自動車道は北へ向かう車で混んでいましたが、水戸方向は空いていました。水戸のまちは一見動いているけれど、瓦がおちてブルーシートのかかった家が多く、大谷石の塀が倒れたり、道路の陥没が目立ったり、震度6強の傷跡は大きいですね。オール電化の家で地震後1日半の停電は本当に辛かったと義妹の言葉です。

2.水戸芸術館は壊れて閉鎖のままですし、姪の通っていたバレエ教室は全壊で建て直せるか検討中とのこと。商店街にはショーウインドウが壊れて閉鎖のままの店も目立ちます。宿泊した水戸駅前の水戸京成ホテルは、宿泊者が20人くらいでしょうか、レストランは朝食は提供できますが、夕食は中華部門のみの営業です。不通になっている常磐線の線路は福島第一原発の1.5kmくらい西をとおっており(車窓から原発が見えるそうです)、もちろん被害がどのくらいかの確認さえできず、再開できるのは何年先になるのか。水戸駅にはおもくるしい空気が感じられました。

3.海を見てきました。4月19日に再開した那珂湊お魚市場は連休でそれなりの人出でした。堤防沿いの駐車場は地震と3メートルの津波で地盤が緩んで半分が使用できません。国営ひたち海浜公園はネモフィラ http://www.hitachikaihin.go.jp/ が丘一面に広がりきれいでした。その丘の北には常陸那珂火力発電所がみえ、すぐそばに解体中の東海発電所(日本原子力発電)があります http://map.ultra-zone.net/japan_power_plant

4.義弟の勤務する日本原子力研究開発機構 http://www.jaea.go.jp/index.shtml# (管轄は文部科学省、東海村)は、4月中旬までは臨時の福島原発支援体制であったものを切り換えて、数年単位の長期対策をおこなう部門(福島支援本部)を立ち上げているとのことでした。福島県の被害の深刻さは専門家は十二分に認識しており、事故の終息が第一、放射性物質のこれ以上の放出がなければ冷静に対応できる、今後の原子力政策は国民と政治の判断による、といったことを話しました。

5.地元新聞の記者に杉山が送ったメールの文面です「放射線被爆による健康被害は閾値がないので被曝量は少ないほどよいというのは本当でしょう。したがって、現実の社会に生きる基準(避難基準や校庭の使用基準)は政治が決めざるを得ません。そしてそれに従って生活し社会を立て直すのです。ヒステリックになれば、日本人が全員福島から200kmくらい離れなければ安心でないとなってしまいます。涙を流して内閣官房参与を辞任した東京大学の先生は、テレビに向かってあの発言をすべきではありませんでした(政府の中で主張を続けてほしかった)。」

インフルエンザ(B型)のまん延は連休で止まると良いのですが。小学校での流行が一息となり、4月末から高校へ広がっています。
震災による気持ちの上での影響でしょう、定期的な内視鏡検査や健康管理を受ける方が少し減っています。もちろん、手を抜けない診療はきちんとされています。気持ちのあり方で変わる部分は倹約できるものとも考えられますので多少は良いのですが、景気の後退と連動した極端な受診抑制は危険な状況を生む可能性があります。