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                  山崎メソッドの病気治癒

● 邪気抜き呼吸法

邪気抜呼吸法は、中国の古典医学書『皇帝内経』の「疾病のプロセスは、真気と邪気の戦いのプロセスである」また、「正気内に宿ればどうして病が訪れようか」という理論に基づいているものであり、身体に邪気が盛んなものは実証となり、真気が不足しているものは虚証となる。

邪気が真気に勝てば病気になり、真気が邪気に勝てば病気が治るというのもです。

つまり、『内経』は、身体の正気の状態を重視し、正気が旺盛であれば邪気が侵入しにくく、疾病は発生しないものと考えているのです。
ここで言う、真気と正気は同じものであり、気の物資的な側面のほか、病気に対する抵抗力を意味しています。

山崎メソッドであるこの『邪気抜呼吸法』(造語)を実践し、顕著な効果が表れた症例を紹介します

                           宇多田亜紀子 (45歳)

 
私は椎間板ヘルニアで三ヶ月の入院生活をよぎなくされる。主治医から手術を勧められるものの、自分の身体にメスを入れられるのは怖いので、手術を断る。
そして完治しないまま退院してしまった為、歩くのもやっと、寝返りもうてない、洗面もトイレを使うのも容易ではなかった。

病気というものは、(ガンなどを除き)医者にかかれば必ず治るものと信じていた。

しかし、それは安易な考えだった。
この病気は、西洋医学では治らないのでは・・・・・・これからは、医者に頼らず自分で治すことを考えなければと思っていた矢先のこと、友人の I さんから山崎先生のことを知り、気に巡り会えることができたのである。

「気は誰でも持っているもの、誰でも出せるもの、気で自分の病気を治しコントロールすることができる。
また人の病気も癒すことができる、人生観も変わる」と先生からお聞きし、医者も治すことができない病気を自分で治すことができるなんてすごいではないか、試してみたい、この病気を治したい、私は期待に胸が躍った。

気について全く無知のまま、半信半疑のまま、山崎先生の指導を受けることになった。そして私は生まれて初めて気というものを体験した。

先生が私の頭に気を入れると、まるで静電気が起きたように髪の毛が逆立つ感じがする、肩に入れていただくとアイロンでも当てられたように熱い、腰のときも肩と同じく温かく感じる。

すごい、わずか数十分間のこと、これが気というものか、私はただ先生の気のパワーに驚愕するばかりであった。

それから私は、自己治癒のための邪気抜呼吸法の指導を受けた。これは正に自分の病気を自分で治すことが出来るというものである。
呼吸と意識を用いて身体に真気を取り入れ、邪気を排出するものであった。気の世界ってすごい。呼吸とイメージで自分の病気を治すことができる。

私は興奮して大いに興味を持った。・・・・・・

7月のある夜のことである。私はいつものように邪気抜呼吸法をしていた。始めてから10分位すると、急に右大腿部に変化が起きた。スーッと寒く感じ、筋肉が収縮し、それからビリビリッと痺れが始まったのである。

少し間隔を置いて二回、三回とすごい大きな痺れを感じた。私はとても驚いた。そして更に三日後の夜にも全く同じことが起きたのである。

前回よりもすごい痺れで、間隔なしに大きな波が次から次にと押し寄せてくるように、五回程起きた。
これは一体何であるのか、もしかするとヘルニアが良くなる前触れかもしれない、私は驚きと興奮でその夜はなかなか寝付けなかった。

その後身体のほうも徐々に回復し、退院後はじめて自転車に乗ってゴミを出しに行くことができた。腰もずいぶん曲がるようになった。重いものを持つことができた。

素晴らしい進歩だ。それから私の身体はめきめきと回復し、動作も徐々に大きくなり、動きにスピードが加わっていった。

初めのころは、15分も立っていられない状態であったが、今は違う。楽に腰を曲げることができる。ひねることもできるようになったのである。

このように身体が回復してくると外気功の学習ペースも上がり、気を高める功法、気を出す功法にと進み、ついに外気功ができるようになったのである。

そして、はじめて先生の肩に気を入れさせて頂いたとき、不安と期待でとても緊張した。

先生から「いい気が出ていますよ」という言葉を聞いたとき、まるで夢のようであり、宙に舞い上がる思いであった。
・・・・・・その後いろいろな人に外気治癒をしてあげられるようになった。

私は変わった。こんなに元気になれた。家族も友人も元気になった私に喜んでいる。
「変わって行くのが楽しみですよ」と、当初先生が言われた言葉を、今改めて噛み締めている。

私は一生の財産を得た思いであり、気持ちはとても穏やかである。